待ち合わせ

 日曜日、2時にK駅改札口前の時計台のところでJさんと待ち合わせをした。渋谷のWINSで馬券を買ってから待ち合わせ場所に向かった僕はかなり早く着いてしまい、駅ビルの本屋で時間を潰して、2時ちょっと前に時計台のところに立った。

 いつもの通りJさんは来ていなかった。10分過ぎても、20分過ぎてもJさんは現れず、僕は近くにある喫茶コーナーでコーヒーでも飲もうと思い、アイスコーヒーを注文したとき、その入口にJさんの姿を確認した。

 しかし、僕は彼女に気づかない振りをして席を探した。Jさんは遅れた後ろめたさのためか静かに近づいて来た。僕は彼女を無視しカウンター席に勝手に座ってしまった。Jさんは僕の横に座り、「ごめんね」と声を掛けてきたが、僕は何も応えなかった。長期戦を覚悟したのか、Jさんもアイスコーヒーを買ってきて再び僕の横に座り、また「ごめんね」と声を掛けてきた。しかし、それにも僕は応えずアイスコーヒーを飲み終えるとJさんに何も声を掛けず、勝手にトイレに行った。

 小用を済ましてJさんの前に来ると、彼女は悲しそうな顔をしてアイスコーヒーを飲んでいた。待ち合わせ時間にちょっと遅れたくらいでこのような態度をとっている自分が恥かしくなり、悲しそうなJさんに「行こう」と声をかけふたりで喫茶コーナーを出た。10分後にはいつものふたりに戻っていた。Jさんは横断歩道の前で信号を待っている時、僕の右の口元にキスをした。

しかし、この話しはこれで終わりではなかったのだ。


 月曜日、仕事が終わった後、Jさんとコーヒーを飲みに行った。
「H、昨日、すごく怒ってたね。何で?」
「何でって、Jが遅れてきたからからだよ」
「でも、20分でしょ?」
「30分だよ」
「20分!」とこの辺りまでは大事になるとは思っていなかった。喫茶店に入り、席に着いて、またJさんがこの話しをぶり返した。

「私、休みの日、あまり急ぎたくないの」
「それはそうだろうけど、待っている方の身にもなってくれよ」
「え?」
「だから、自分のことだけでなく、待っている相手の身になって考えてみてよ」
「だけど、ペルーじゃ10分や20分は遅れたことにならないよ」
「ここはペルーじゃない。日本だよ」
「日本だけど、ふたりの問題だよ。ふたりで考えればいいんじゃない?」

 Jさんの話しがわからないわけではなかったが、ここで変な譲歩をしてしまえばこの先ずっと彼女を待ち続けることにもなりかねず、また面倒臭くなったこともあり
「日本では遅れないことが当たり前なの」と話しを打ち切ってしまった。するとJさんは急に悲しそうな顔になり、トイレに立って行った。たぶん、トイレで泣いているのだろうと僕は思った。彼女がいなくなった後、いろいろな考えが頭を過ぎった。

 日曜日、確かに彼女にとった僕の態度は行き過ぎたところはあった。しかし、その原因をつくったのは彼女の方だ。何で待ち合わせ時間にいつも正確に行っている僕がこんなに悩まないといけないのだろう。それより今日、コーヒーなど飲みに誘わなければよかった。話しが深刻になっているのを察してか、誰も注文を訊きに来ない。

 しばらくして席に戻ってきたJさんはやはりトイレで泣いていたようで、目が赤くなっていた。泣くほど深刻なことでもないように思え、少し彼女がわからなくなった。やっとウエイターが来て、僕とJさんはケーキセットを注文した。

 Jさんの顔はほんとに悲しげで、ほとんど口をきかなかった。僕を無視しているというより、心が虚ろになってしまったような感じがした。それでもどうにか彼女の気持ちをわかろうと思い、いろいろと訊いて行くと僕が「日本ではこうだ」と言ったことにひっかかっているらしい。

 日本人は子供のときから時間に正確に動くことを教育されているから、どうしても遅れるといらいらしたりするということを丁寧に説明したが、なかなかわかってもらえない。それは彼女の日本語の理解力がないわけではなく、僕の説明に嘘があるからだ。

 僕は彼女が約束の時間を守らないから怒っているのではない。彼女に早く会いたいのに、来てくれないからいらいらしてしまったのだ。僕はもともと時間にそれほど煩くはない。あまり気の進まない相手だったら、多少時間に遅れようと何も言わないだろう。

 僕からすれば一番大切な人だから約束の時間に来てほしいと思っているのだが、彼女は一番大切な人だからこそ時間に遅れても怒らないという信頼がほしいという。

 いろいろと話し合った結果、日本もペルーも関係ない、ふたりのことなのだからふたりで一番いい方法を考えようということになり、何とか彼女に気持ちを和らげることができた。

 ただ、Jさんはショックを受けているようで、いつもは残さないケーキを半分しか食べず、残りは僕が食べることになってしまった。


 火曜日、仕事が早く終わったので、またふたりでコーヒーを飲みに行った。この日はJさんからの誘いだった。

 いつものJさんに戻っていた。1時間くらい楽しくおしゃべりをして店を出た。
「昨日、私、疲れていたかもしれないね。ほんとは滅多に泣いたりしないのにね。おかしいね…。やっぱり疲れていたんだね」と彼女は帰り道で言った。(2006.11.3)




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