日系ペルー人女性のJさんのお姉さんは神奈川県に在住している。土曜日、ひょんなことから僕はJさんとお姉さんの家にいっしょに行くことになった。仕事が終わった6時にJRのK駅で待ち合わせ、そこから電車とバスに乗って約1時間、僕たちはお姉さんの家に着いた。

　僕は緊張のためか、K駅とお姉さんの家の最寄り駅のトイレと2回も用を足しに行ってしまい、Jさんを不安がらせた。Jさんによると、ペルーでは付合っている男性を家に招くのはよくあることらしく、さらに今度は何も彼女の実家に行くわけではなく、お姉さんの家なのだから、友達夫婦のところに遊びに行く感覚でいいと言ってくれたが、やはり初めて会う人たちなのだから緊張するなというのは無理というものである。

　「ちゃんと事前に俺もいっしょに行くっていうことを伝えておいてくれよ。夕飯の仕度もあるんだし。服装は、いつも通りでいいよね？」などと僕がいろいろと訊くものだから
　「何か勘違いしているんじゃない？結婚の申し込みじゃないよ」とJさんに笑われてしまった。当日も僕がスーツを着てくるのではないかと本気で心配していたらしい。

　県営住宅の3階にあるお姉さんの家のドアは開いていた。Jさんはスペイン語で何か挨拶をしてどんどんを入って行ってしまった。その後から僕ものこのこと付いていき
「お邪魔します。初めましてHといいます」とお姉さん夫妻に挨拶をした。

　現在、Jさんのお姉さんは夫と高校3年生と中学1年生のふたりの息子の4人で暮している。下の男の子は夏休みを利用してアメリカにホームスティで行っていて不在で、上の男の子も塾に行っていて10時くらいにならないと帰って来ないということだったので、家にいたのはJさんのお姉さんカズコさんとその夫フェルナンドさんのふたりだった。

　カズコさんとは以前に会ったことがある。Jさんの2番目のお姉さんがペルーから来日したとき、会社の前でJさんとカズコさん、それに従姉妹のメグを加えた4人で写真を撮っていたのだ。やや太り気味のJさんがその中では一番やせていて、改めて食生活の違いというものを実感したのだった。

　夫のフェルナンドさんも名前だけはJさんから聞いて知っていた。その名前がスペイン映画「ミツバチのささやき」で主役を演じたアナ･トレントのお父さん役と同じだったので僕はその俳優を思い浮かべたりしていたのだけど、見た目は全くの日本人だった。ただ、彼はあまり日本語を話せない。カズコさんは沖縄で生まれ、しばらくそこで暮していたため日本語はうまい。

　ふたりはいっしょにキッチンに立ち、料理をしていた。フェルナンドさんはセビーチェという魚介類をレモンとアヒーというペルー風カラシであえたものを、カズコさんはチキンをオーブンで焼いていた。そんな風景を見ていて、これがほんとの家庭というものかもしれないなとぼんやりと思った。

　しばらくすると10時まで帰って来ないはずだった長男のケンイチが帰ってきた。彼はとても背が高く、はっきりとした顔立ちの少年だった。日本での暮しがほとんどの彼は、日本人と全く変わらない発音で日本語を話すことができる。その反面、スペイン語を徐々に忘れていくらしく、その対策として家の中ではスペイン語で話すという決まりになっているそうだ。サッカーをやっていて、大人しい感じの男の子だったが、それは僕がいたからというわけでもなく、もともと静かでそれほどおしゃべりはしないらしい。

　Jさんが梨を剥いてくれ、5人で食卓を囲みお姉さん夫妻が作ってくれた料理を食した。料理はどちらも美味しく、ただチキンばかり取っているとフェルナンドさんから苦情もでたりするのでセビーチェとバランスをとって食べたりした。話しは日本語とスペイン語が交じり合ったが、スペイン語で話された部分もJさんが訳してくれたり、また節々で出て来る固有名刺で何となく話しの内容がわかり、退屈することはなかった。

　食後は、梅酒を持ってフェルナンドさんとクーラーのよくきいた別室で休んだ。フェルナンドさんは車を欲しいらしいが、なかなか手が出ないと言っていた。後から聞いた話によると、よく車の広告を長い時間見ているという。来年、長男の大学入試があり、そのため彼は最近、日曜日までバイトをしているそうだ。そのうち、みんなやってきて和やかなときが過ぎていった。ケンイチは「おやじの日本語が通じているよ」フェルナンドさんの日本語が僕に通じているのに驚いていた。

　フェルナンドさんの薄くなった頭髪を、高校生のケンイチが撫でる姿などは今の日本の家庭での父とその年頃の息子ではほとんど考えられないことで、またほんとの家族というものを感じた。

　一家のアルバムなどを見ているうちに予定の時間を大幅に越えてしまい、バスの終電を逃してしまった。Jさんと駅まで約20分の道程を歩いた。しっかりと手を繋いで歩いた。(2006.8.31)