ツーリング雑記 その1

なくなっていく物

 バイクにキャンプ用品一式を積んで長旅に出る。始めは重かった荷物が日に日に軽くなっていく。それは持って行く物の中に米やパスタといった主食、塩・砂糖・コショウ・醤油といった調味料、料理用のオリーブオイル、調理用携帯コンロの燃料であるホワイトガソリン、さらには歯磨き粉やシャンプーといったものが日々少なくなっていくからだ。

 食料の場合、現地で野菜などを買ったりするため一方的に減っていくというわけでもないが、増減を繰り返しながら基本的な量は減っていく。減っていく量は1日わずかであるから、それを毎日実感するというわけでもないが旅も半分過ぎた頃、ずいぶんと荷物が軽くなり、バックのスペースが大きくなっているのがわかる。

 これらが減っていくというのは旅が進んでいるからであり、終わりに近づいているということだから本来なら悲しむべきことなのだろうけど、何故か気は楽になって行く。それは恐らくだんだんと身軽になっていくことが、楽だと感じるからだと思う。しかし、ただひとつお金だけは別なのだ。

 財布の中身も旅が進めば寂しくなっていく。他のものは減っていくと楽と感じるのに、お金だけは寂しく感じ少なくなると不安になっていく。「お金はいくらあっても邪魔にならない」というが、正にその通りで他の生活必需品は持ち歩くことを邪魔だと感じることはあるが、お金に対してはそういう感情は起きない。

 しかし、もうひとつ確実に減っていくものがある。それは時間である。旅の最中、後半になって帰るときが実感されると猛烈に時間というものが恋しくなる。お金を含めた他の物の場合、節約することによってある程度減っていく量を自分で抑えることができるが、時間に容赦はない。泣こうが叫ぼうが、時は刻み続ける。


カラス

 朝早く目を覚まし、テントのファスナーを開けて目の前に広がる芝生を見ると2羽のカラスがいた。2羽のカラスは芝生の上をトコトコ歩いて、たまに何かを啄んでいた。そんな光景をぼんやり見ていたら、生まれて初めてカラスを可愛いなと感じた。

 都会のカラスを可愛いと感じたことはなかった。ゴミを荒らし、ハンガーを持って行ったりと余計者でしかなかった。だけど、カラスの側から見てみればゴミを荒らしているのではなく、ただ生きるために食べ物を探しているだけなのだ。キャンプ場のカラスは無邪気に芝生の上を歩いていた。


連泊者の多いキャンプ場

 北海道をキャンプ場に寝泊りしながら旅をしていると、連泊者の多いところがある。そしてそれらのキャンプ場は極めて似通っていることに気づく。その条件は以下の全てを満たしているものである。

1無料。
2.近くに安価で利用できる温泉または銭湯がある。
3.街に近い。
さらに絶対ではないが、次の2つの条件が重なるとさらに連泊者は増えるようである。
4.観光地・景勝地に比較的近い。
5.施設がまあまあきれい。

 これらに該当するのが鶴居村村民広場キャンプ場や倶知安の旭ヶ丘公園などである。鶴居村のキャンプ場は歩いて行ける距離に温泉とスーパーがあり、釧路湿原と屈斜路湖や摩周湖、阿寒湖の中間に位置している。そのため、ここをベースにして道東を観光する人は多い。さらにここはトイレが水洗できれいなため、家族連れも多く連日多くの人で一杯だった。旭ヶ丘公園も鶴居村ほどではないが、温泉と街に近く、またニセコを周るには絶好の位置にある。ただここは、トイレを含めたキャンプ場があまりきれいではないため、ファミリーキャンパーはほとんどおらず、旅人タイプの人が多い。

 天塩川温泉キャンプ場や中川森林公園キャンプ場は近くにメジャーな観光地はないが、温泉に極めて近いため、温泉を愉しみながら数日のんびりと過ごすことに向いているのでやや年配の連泊者が多い。

 ロケーションのいいところにあるキャンプ場は有料である場合がほとんどで、さらに街から遠いこともあり意外と連泊する人が少ないようだ。こうしてみるとキャンプ場に関しても、風景がいいところよりも便利なところに人は集るようである。(2006.8.13)




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