陳さん

 日曜日、Jさんと買い物にKへ出掛けた。Jさんの友達の誕生日プレゼントとして、室内で運動するとき使用するマットと、体操用のゴムボールを買うためだった。K駅には駅ビルが3つもあり、その上の階にスポーツ用品店が入っていた記憶があったのだけど、それはかなり前のものだったらしく、様相はまるで変わっていて、それらの店は跡形もなくなっていた。

 Kに行けば目的のスポーツ用品は見つかると言った手前、僕としては何とかしないといけない状況になってしまった。Kは駅ビルだけでなく、駅の外にもかなりのお店がある。僕たちはまず駅の東口にあるアーケード街に行って見ることにした。

 東口からバスターミナルに繋がる横断歩道を渡り切り、アーケード街の入口に差しかかった辺りで目の前に知った顔が突然現れた。同じフロアで働いている中国人の陳さんだった。

 「陳さん!?」と僕が声をかけると黄色のノースリーブにセージのカーゴパンツを履いていた陳さんはびっくりしたように僕たちの方を見た。僕たちがびっくりしたのは陳さんに出会ったことだったが、陳さんがびっくりしたのは僕たちに街で偶然出会ったというより、僕とJさんがいっしょにいたことだったのではないだろうか。僕とJさんは付合っているということを特に隠す気はなかったが、宣伝することもないだろうということで職場の誰にも言っていなかったのである。

 びっくりして口をぽかんと空けている陳さんに僕は
「これから陳さんの店に行こうと思って」と言って誤魔化そうとした。
実はこの場所で陳さんと会う可能性はあったのだ。というのも彼女がバイトをしているおそば屋さんが東口のアーケード街にあるからだ。ただ日曜日、陳さんは休みのはずだったのである。これは後から知ったが、そのおそば屋さんで働いているバイトがひとり辞めてしまい、先週と今週に限って本来日曜日が休みだった陳さんが出勤していたのだ。

 陳さんは僕たちが彼女のアルバイトしている店を知らないものと思い、場所を説明しようとした。ただ、一番動揺していたのはJさんだった。ただ一言
「買い物よ」と言っただけで、あとはもう絶句してしまった。
「ゴメンネ」と言い残し、陳さんは駅の方に向かって行った。

 その後、Jさんは「どうしよう、どうしよう」を連発していた。もう立っていられないとJさんが言うので、僕たちは近くにあった喫茶店に入り、コーヒーを飲んで落ち着くことにした。Jさんは陳さんの口から僕たちの関係が職場のみんなに知られることを心配していた。

 しかし、僕はあまり気にならなかった。陳さんの性格から今日のことを誰彼かまわず話すとは思えなかったからだ。そのことをJさんに言うと陳さんの性格をよく知っている彼女は多少落ち着いてきたが、
「でもパンちゃんには話すと思う」と言った。パンちゃんとはフロアは違うのだけど同じ会社で働いている中国人のパートさんだ。

 「パンちゃんには言うかもしれないな。だけど、そこで止まればそれほど大事にはならないんじゃない?月曜日、会社に行ったら陳さんに‘言わないでね’と言っておけば大丈夫。だけど、いろいろと訊かれるよ」と僕が言うと、Jさんもそうすると言った。

結局、Kで誕生日プレゼントを買うことはできなくなってしまった。


 月曜日、仕事が終わった後、僕とJさんはMに行った。Kで買えなかったJさんの友達の誕生日プレゼントを買うためだ。幸いにして目的のものはすぐに見つかり、僕たちは喫茶店に入り、陳さんのことを話した。

「陳さんに言った?」と僕はJさんが陳さんに口止めをしたか訊いた。
「言ったら、大丈夫って言ってた。パンちゃんにも言ってないみたい」とJさんは言った。しかし、その後、陳さんにいろいろと訊かれたらしい。
「Hサントイツカラツキアッテル?」
「Hサン、アイシテルッテイッタ?」
「Hサンノイエニイッタ?JノイエニHサンキタ?」等々…。

 これらの質問にJさんは嘘をつかず、ほんとのことを言ったという。ふたりの間でこのような会話がなされたというのを知ると恥かしくなってしまうが、Jさんは「知られたのが陳さんでよかった」ではなく、「陳さんに知られてよかった」に変わっていた。これから隠さないでいろいろと話しができることがうれしいらしい。


 陳さんは面白い人物である。最近ではいつもフロアのエアコンの設定温度で社員のNさんと揉めている。Nさんが極端な暑がりに対して彼女は極端な寒がりなのだ。争いの結末はいつも同じで陳さんの一方的な勝ちに終わる。

「Nサンハイツモアツイ、アツイ」
「ワタシノダンナサン、ソトデハタライテル。モットタイヘン」などと言われ、睨まれるとNさんは蛇に睨まれた蛙の如くなってしまうようである。パンちゃんが陳さんに付けたあだ名は‘トラ’だ。

 一見すると怖そうな女性なのだけど、実際はやさしい人で休憩室で休んでいるとライチをむいてくれたり、ゼリーを分けてくれたりする。また、会社の冷蔵庫には昼休みに陳さんが近くのスーパーで買って来た豚肉や牡蠣や帆立貝などの食材が入っていたりする。洗濯機に生きたうなぎが泳いでいたときはびっくりしたが…。

 陳さんとJさんはとても仲がよい。陳さんはやはり昼休みに買って来たTシャツなどを見せたりして、安売りの情報なども教えてくれるらしい。最近はお金も充分に貯まったらしく、アクサリーを物色しているそうだ。

 そんな陳さんに僕との関係を知られたことが、Jさんにとって時間の経過とともに好ましいことに思えてきたのだろう。今日もこんな会話をしていた。
「J、Hサントカイモノニヨクイク?」
「あまり行かない。行っても見るだけ」
「ソウ、ソレジャーホテルヨクイク?デモ、ホテルタカイカラ、Jノヘヤノホウガイイヨ」(2006.7.22)




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