ロボットたちの群れ

 昼休み、食事をとりに外に出ると、会社の近くにあるインテリジェントビルから出て来るスーツにネクタイ姿のサラリーマンたちに出会う。彼らはほとんど4〜5人で連れ立って、にやにやしながら歩いている。僕には彼らが人間に見えないことがある。

 手塚治虫の火の鳥に−復活編だと思ったが−科学の力によって墜落死した少年の小脳を人工頭脳にほとんど入れ替えて生き返させる話がある。生き返った少年は人間を人間とは認識できなくなり、ロボットが人間のように見えるようになってしまうのだが、僕の場合もそんな感じなのだ。

 もともと正社員をしていたときから、どうもスーツにネクタイというスタイルが苦手で出張とか必要があるときしか着たことはなかったが、どうもそれだけが原因ではないようだ。彼らはある意味、人間ではなくなっているように感じる。

 彼らの特徴として仲間内以外の人間に関して全く無関心だということがある。歩道ではほとんど横幅いっぱいを占有して我が物顔で歩き、電車の中では、ドア付近に陣取り他の乗客の乗降の邪魔になっているのにもかかわらず、それを気にかける素振りも示さない。

 ある人間が会社に入り、徐々にその組織に組み込まれていくと、どうも外界というものが見えなくなっていくのではないか。そして、今度は自分が組み込む側にまわると、もう彼はその役に成りきり、それを続ける以外のことはできなくなってしまうのではないか。つまり、課長は24時間ずっと課長を続け、部長も何処に行ってもずっと部長であることを続けているように思う。

 彼らが人間のように感じられないのは、彼らが会社員である前に人間であるということを忘れ、人間である前に会社員だという雰囲気を醸し出しているせいのような気がする。もし、役職にでもついてしまったら、多くの人はそれを続ける以外のことが、できなくなってしまうのではないだろうか。

 僕が会社員というやつを辞めてしまったのも、その怖さがあったからだ。このまま続けていたら…もう、自分にはそれ以外できなくなってしまう、動物園の動物が餌をとれなくなり、もう野生で生きていけなくなるような怖さ。

 どんなことをしても、食べていけるという自信さえできれば、これほど強いことはないだろう。しかし、簡単そうで、これはかなり難しいことである。だけど、自分はもう、あのロボットたちの群れの中で生きるのはうんざりなのだ。

 動物園で飼育係からの餌を貰って生きるより、自然の中で自分で餌を取れるようになる方がいいに決まっている。ただし、その能力または根性があればの話だけど…。(2006.2.11)




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