Tさんの退社

 昨年の10月にアルバイトとして職場にやって来たTさんが1月末日で退社した。退社が決まったのは1月25日で、急なことで驚いてしまった。

 もともとTさんの契約期間は1月末までだったらしい。その後の再契約をするかどうかの上司との話し合いの中で、「契約更新はいいけど、その場合短期で辞めてもらっては困る」と言われたそうだ。

 Tさんは給与に不満を持っていたようだ。一番忙しかった11月、「これだけ働いて20万ちょっとしかもらえない」と話していたし、他のパートさんも彼の不満を聞いた人は多い。仕事が繁忙期を過ぎた現在、一月20万円以上をとることは不可能で、早い時期に次の職場を見つけようと思っていたらしい。

 しかし、現在46歳で特に技能を持っていないとなると、なかなか次を見つけるといっても難しく、できれば今のところで働きながらと考えていたそうだが、上司の言葉によって辞めることに決めたという。

 「これは賭けですよ」とTさんは笑っていたが、かなり厳しいことになるのではないかと他人事ながら心配になってしまう。「5時で帰れて、月20万以上の収入」というのがTさんの希望であるが、そのような職場を僕は聞いたことはない。
「どんなところを考えているのですか?」と訊くと
「僕の年だともうリフォームとか、教育関係の営業くらいしかない」と彼は言った。

 何でもTさんは高校を卒業した後、今では子供の教育関係の書籍で有名な中央出版に営業部員として就職したそうだ。しかし、そこで働くうち、どうしても大学に行きたくなり退社した。

 「今はすごいですけど、当時は小さな会社でしたよ。あのままずっと辞めないで働いていたら、今頃、僕も幹部になっていたかもしれないです」とTさんは大学に行きたくなってしまったことを後悔しているようだった。

 「だけど、それはわからないですよ。大学に行かなくても、辞めたくなって辞めてしまったかもしれないし…」
「そう、人生に‘たら、れば’はないことはわかっているんですが…」
‘たら、れば’がないことは誰でもわかっている。だけど、また誰でも‘たら、れば’を思ってしまう。

 Tさんと話していて感じるのは、彼がお金第一主義だということだ。常に金銭的なことを口にしていた。何故、それほどまでにお金に拘るのか?、お金以外のことは関心がないのか、或いはあまり話したくないのか、ほとんど口にしない。

 次の職場の希望も「5時で帰れて、月20万以上の収入」というだけで、普通ならお金よりも仕事の内容に話しがいきそうだが、そういったことにはほとんど関心がないような素振である。

 そして、Tさんの最大の問題点は彼の発する臭いだ。ホームレスに近いというより、それ以上に強烈な悪臭で、彼がエレベータに乗っていると誰もいっしょに乗ろうとしないほどだ。一月2万5千円の部屋には当然風呂はなく、銭湯に行かなくてはならないのだけど、このところの寒さのせいもあるのかもしれないが、面倒臭いようで頭髪など脂で固まりフケだらけだったりする。

 口もただうがいをする程度らしく、歯ブラシや歯磨き粉を持っていないようなのだ。だから口臭は特にきつく、僕も一度真ともに向かい合って話したとき、気持ち悪くなってしまったほどだ。そんな彼が果たして、面接を通ることができるのか…。

 そのこともあり、またお金に執着する理由を知りたかったので、最後の日に社員のNさんとTさんと飲む計画を立てていた。しかし、Tさんは退社が決まった翌日から、会社に来なくなり、そのまま辞めてしまった。結局、僕はTさんについて、いっしょに仕事をしながらほとんどわからないまま、もう会うことはなくなってしまったのである。

 こちらのレベルが低いために、能力や才能のある人を軽視してしまうことはよくあることだ。何かそういう気がして、ちょっと残念な想いがした。(2006.2.4)




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