初詣 2006

 1月3日、日系ペルー人女性のJさんと待ち合わせをしたK駅の改札前に約束の時刻12時30分ちょうどくらいに着くと、すでに彼女が待っていた。これまでJさんはペルータイムとやらを盾にとって、待ち合わせ時刻に常に10〜20分くらい遅れてきていた。前回、そのことについて小言というより、「もう自分は慣れた」というようなことを言ったのだけど、それが効いたのであろうか?

 東急池上線に乗り、本門寺がある池上に向った。池上駅に着いて改札を出るとJさんが「トイレない?」と訊いてきた。「あるよ」と僕は応え、駅のトイレを探しただけど、どうもそれは改札の中にあるようで、駅の外にそれを見つけることはできなかった。
「本門寺まで行けばあるけど、我慢できる?」と訊くと、「できる」というので僕たちは本門寺に向った。

 僕が家を出た時は、日差しがありそれなりに暖かかったのだけど、本門寺への道程は陽が陰り北よりの風も強く吹いていて、体の芯から冷えてくるような感じだった。それでも三が日に最後ということもあるのだろう、人出は多く、その多くの人が穏やかな顔をして歩いていた。

 本門寺の長い石段が呑川沿いに見えると、木々に囲まれた山上の山門に一筋の陽が落ちていて神々しい光景をつくっていた。僕は荘厳な思いにふけっていたのであるが、Jさんは「あー、考えてなかったね」という。何のことか訊いてみると
「あの石段を登らないといけないこと忘れていた」という。そういえばJさんと最初にふたりで出掛けた時、この本門寺の石段を登ったのだった。そのときの記憶が甦ってきたのだろう。

 「それほど大した石段じゃないよ」と僕がいうと
「そんなことないよ。きつい」とJさんは浮かぬ顔になっていたが、いざ上り始めると前をのろのろと歩いていた若い男女のカップルを抜き去った。
「Jさん、歩くの速いね。上りも全然大丈夫じゃない?」
「歩くのは好き、上りは嫌い」
「でも、足は強いと思うけど?」
「そんなことないよ。もう、疲れた」とJさんは言ったが、疲れたような感じは全くなかった。彼女の基礎体力は相当なものなのではないか…と僕は思っている。

 山門をくぐると、人垣が出来ていた。何事かと、爪先立ちになって人と人の間から覗き込むと、どうも何かの動物が芸をしているらしい。黄色く塗られた階段があり、そこから飛び降りたのか、そこに飛び乗ったのかはわからないが、大きな拍手が起こった。

 芸をやっている動物は今年が戌年だから犬かと思っていたら、半被を着た猿がいた。猿の後にいた猿とお揃いの半被を着て髪を結い上げた若い女性が竹馬を出したので、今度はそれに乗るかと思っていたら、もうひとりの女性がかごを出してきて、周りを囲んでいる観客の間を周り出した。僕の周りの人も小銭を用意し始めている。どうもお金をとってから、竹馬の芸を見せるらしい。

 みんないくらくらい入れているかと、首を伸ばして見ていると千円札を入れている人もいるが、500円や100円の人が多いようだった。千円札以上を入れると、何か記念品をもらえるようで、札を入れた人には女の人が紙に包まれたボールペンのようなものを渡していた。

 「何も見ていないから100円でいいね」とJさんは財布から百円玉を取り出したので、僕も百円玉を財布から取り出し、僕の斜め前で見ていた彼女に渡した。Jさんはそれを周って来たかごに入れると、「行こ」と言って歩き出してしまった。恐らくこの後で、猿が竹馬に乗る芸を見せてくれるはずなのであるが、Jさんが歩き出してしまったので後に続いた。

 「トイレに行きたい」とJさんが言った。そういえば、忘れていた。彼女は早くトイレに行きたかったのだ。僕たちは参拝を後回しにして、トイレを探した。トイレの標識はすぐに見つかったが、肝心のトイレの場所がなかなかわからない。標識の矢印の方向を見てもただ砂利がひき詰められている広い空間があるだけだった。

 しかし、標識はそこを示している。よく見ると本堂裏の奥まった場所に立派な建物があった。あまりに立派過ぎて、見えない存在になってなっていたのだが、そのわきから人が出入りしているのが見えた。

 「あった。あれがトイレだよ」とそちらに進むと、Jさんは砂利道に立ち止まったまま下を向いていた。僕が立ち止まったままのJさんの方を見ていると、彼女は顔を上げ目が合った。そして彼女は突然笑い出した。
「どうしたの?」と訊くと、
「こんなになっちゃった」と足を上げ、靴を見せた。何と靴の裏側が半分以上剥れていた。
「何でこんなことに?」と訊くと
「突然剥れちゃったの」という。どうも砂利道にバランスが崩れた瞬間に、弱っていたところに力がかかってしまったらしい。何はともあれ、まずトイレに連れていかないといけないと思い、Jさんの手を引いてトイレまで行った。

 トイレから出てきたJさんはまだ笑っていた。足を引きづるような感じで歩いている。このままでは初詣もままならないので、中止して靴屋を探すことした。本門寺の長い石段をやっと下り、時速2Kmくらいで駅に向かった。ゆっくり行かないと、靴の底が完全に取れてしまう怖れがある。それでも、ついつい僕の歩みは速くなって、Jさんに「速い」と叱られた。Jさんは歩いている間、ずっと笑い続けていた。足を引きづりながら笑い続けている女に、周りの人は何か不気味なものを見るような視線を送ってきた。

 何とか駅まで着き、駅前の小さな靴屋に入った。そこは、どちらかというと年配の人用の靴ばかりであまりいいものはなかった。「スリッパでも、何でもいい」と言っていたJさんだったが、さすがに気が引けたのか「他にないかな?」と訊いてきたので、僕たちは次の靴屋を探した。そして、それはすぐに見つかった。

 その店は前の店に比べれば大きく、若い人向けの靴も多く置いてあったので、Jさんの好みの靴は見つかるだろうと思った。しかし、Jさんは靴を丹念に見ていたが、琴線に触れるようなものがなかったらしく、困ったような顔をしていた。どんな靴でもいいと言っているけど、どうせ買うなら気に入った物をと僕は思っていた。

 「もし、気に入ったのがなかったら蒲田まで行ってみようよ。蒲田なら靴屋もいっぱいあるし」
「でも、蒲田まで持つかな?」
「大丈夫、蒲田なら電車ですぐだし、駅ビルに入ってしまえばそんなに歩かなくてすむよ」

 そんなわけで、僕たちは池上線に乗り、蒲田に向った。前の車両の角の席に座って怖い顔をして窓越しにこっちの方を睨んでいる男性がいた。Jさんがその人に気づき、僕に教えたのだ。ちょっと頭のおかしい人らしかったが、何でも面白おかしく感じてしまうのはやはり南米育ちなのだろうかと思った。

 蒲田に着き、駅ビルに入り靴屋を見て周った。すぐに好みのものが見つかるだろうと思っていたのだけど、Jさんはなかなか買わない。結局、6〜7軒周ることになってしまった。やっとお気に入りの靴が見つかり、僕たちは駅ビルに入っている喫茶店でコーヒーをケーキと食した。

 「あの靴、きれいに見えたのに、まさか壊れるなんてね。いつ買ったの?」と僕はJさんに訊いた。
「2年前のクリスマスに、甥っ子からプレゼントされたの。気に入っていたけど。Hさんの靴ボロボロなんて言ったけど、私の方がボロボロだったね」とJさんは言った。

 それにしても初詣に行って、靴の底が剥れてお参りできなくなるとは、どういうことなのだろう。今年一年、面白い年になるかもしれない予感がした。(2006.1.7)




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