皮膚と心

 北海道から帰り、働き出して1週間くらい過ぎた頃、右腕の上腕部に小さな湿疹がぽつぽつと現れ、その数が増えていった。普通に見ている分にはそれほど酷くは感じないのだけど、光の位置によって皮膚の表面の凹凸が強調されると、それはまるで月の表面のようで、自分でも気持ち悪いほどだった。

 まあ放っておけば自然に治るだろうとたかを括っていたら、それは左腕の上腕部にも現れ、さらには左右の前腕部、そして気がつくと脇の下から横腹に連なり腰の辺りまで広がっていた。さすがにここまでになると、自分でも怖くなり、土曜日に近所の皮膚科を尋ねた。

 土曜日ということで、小さな病院の待合室は満員状態で立っている人もいるくらいだった。後から、後から人がやってきて、癬だとか、水虫だとか、トビヒだとかいう先生の声が診療室から聞えてきて、何だか体中が痒くなってくるような感じがして、そういったものが辺りをふわふわと漂っているようにも思え、身を固くした。

 お父さんとやってきたトビヒの小学生が足に包帯を巻いて出てきた後、僕の名前が呼ばれた。
「どうしました?」とアインシュタインに似た感じの初老の先生が言った。
「実は先週末あたりにここに」と右腕の上腕部を示して「湿疹が出来まして、それが左腕にも出て」と今度は着ていたTシャツをまくって「今週の頭くらいから体にも出てきたものですから」とアインシュタイン氏に見せた。
「服を脱いでください」とアインシュタン氏が言ったので、Tシャツを脱いで上半身裸になった。

 すぐに明確な診断が出るものかと思っていたのだけど、アインシュタイン氏は迷っているようで虫眼鏡で横腹に出来た湿疹を覗き込んでいる。
「痒くはないんですよね?」
「ええ、風呂上りとかにちょっと痒かったりすることはありますけど、普段は…」
「うーん、何かにかぶれたかな?服とか」とえらく自信なさげである。
「とりあえず塗り薬で治療しましょう」と言うと、近くに立っていた看護婦さんが綿棒の大きなので軟膏を湿疹が出来ているところに塗り広げてくれた。そして
「薬を塗るときは、薄く広くね」とアドバイスしてくれた。
「汗をいっぱいかいたとかあります?」とアインシュタン氏は、なおも原因を究明しようとしている。
「ええ、もともと汗っかきなものですから、夏は…」
「そいうことが原因しているのかもしれないね。とりあえず塗り薬で様子を見ましょう。来週の火曜日か水曜日にもう一度きてください」

 病院を出て、もらった処方箋を近くにある薬局に持っていくと、僕の前に診断されたトビヒの親子が長椅子に座って待っていた。


 どうも、ここのところ気持ちがぴりぴりしてしまっている。ちょっとしたことに我慢できなかったり、他人のアラばかりが気になったり、気持ちを深読みしていたり。

 心身の疲れから、心が鋭くなってしまっていると感じ、土日はできるだけゆっくりと過ごした。考えや行動が極端になり、思いもかけない方向に行ってしまうこともある。こんな時は、とにかく大人しく静かに時間が流れるのを待つしかない。


 水曜日、会社を1時間早く上がり、病院に行った。実は、先日の塗り薬でほとんどの湿疹は治ってしまった。あっけないほどだった。アインシュタン氏も僕の体を見て、
「だいたい治っていますね。やっぱり何かにかぶれたのかな?後は引き続き塗り薬で大丈夫でしょう」と言った。

 でも、何故あんな湿疹が現れたのか、それはわからなかった。服にかぶれるというのも僕には今ひとつ納得がいかなかった。考えてみれば北海道では太陽に焼かれ、多くの虫に刺され、雨に打たれ、体をいじめていた。そんな疲れが発疹となったように思う。

 皮膚と心、両方の湿疹が僕に現れていたのだ。そして、その両方ともまだ完全に治ってはいない。(2005.9.4)




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