Tender (後編)

「Hさん、絶対、私を痩せさせようとしているね」とJさんが独り言のように言った。
「そんなことないよ。それにそんなに太っているってほどでもないと思うけど」
「今のはウソ」
「ウソじゃないよ」
「ウソ、ウソ」

 長い石段を登り、三門を抜けると本堂が目の前に大きく現れる。Jさんといっしょに清水で手を清めてから、線香の煙にあたった。
「この煙を体の悪いところにあてると、よくなるんだよ」と説明したら、彼女は頭からほとんど全身にかけて手を大きく広げ煙を呼び込んでいた。その後、本堂に参拝をした。彼女は金箔が塗られた祭壇が珍しいようで、暗い中、目を大きく開けていた。

「今度は五重塔を見に行こう。東京には確かここともう1箇所くらいしかないんだよ」と大昔に聞いたことのあるあやふやな説明をした。
しばらく歩いて、五重塔が目の前に現れると
「1つ、2つ…」と彼女は屋根の数をかぞえ、「4つ、5つね。これで五重塔ね」と笑った。そして、僕が子供のとき、カマキリをよく捕まえに行った神社や、通っていた中学校、そして今は更地になっていた友達の家などを通って、呑川沿いの道に出た。

「ここ魚いる?」と彼女が訊いたので
「たぶん。昔よりはずっときれいになったよ」と僕がいうと、橋の欄干から身を乗り出し、真剣な様子で川を眺めていたが
「いないよ。いない」とやや不満気にいうので
「そんなことないよ。いるよ」と僕も橋の欄干から身を乗り出し、川底を真剣に目で追ったが確かの彼女のいうように魚の姿は見えなかった。僕の方を怖い目つきで見ている彼女に
「もっと上流に行けばいると思うよ」と言って誤魔化した。

 僕らは川沿いに歩き、来た道を駅の方向に戻った。切符を買い、改札を入ると
「Hさん、何か飲んで行かない。のど、乾いたよ」と彼女が行った。それはそうだ。切符を払い戻してもらおうと駅員を探したが見つからず、結局そのまま電車に乗った。
「そうだMで下りて、喫茶店でも入ろうよ」というと彼女も同意してくれた。

 Mは子供の頃、よく遊びに行き、通っていた専門学校もある街なのだけど、それほど詳しくもなく、コーヒーを飲める店を探すのにえらく手間取り、やっと見つけたときには汗びっしりになっていた。そこで僕らは再び、アウトドアの店にもらったカタログを見ながらいろいろと話した。

「今日、夕食いっしょにとらない」と僕がいうと
「いいよ」と彼女。
僕たちは1時間近くも粘った喫茶店を夕暮れの街にでた。
「俺の通っていた学校見てみる?」と僕がいうと
「いいよ」と彼女。
僕たちは学校通りをそぞろ歩いた。辺りは飲食店が多く、学生当時僕がよくパンを買った店も残っていた。

「大きい学校ね」と彼女は驚いていた。校舎の説明をしながら、学校の敷地を抜けまた呑川に出た。
「これさっきの川だよ。子供の時、この川を遡って海まで行こうとしたことがある」
「何処まで行った」
「このちょっと先くらいまで」
「池上からここまでどのくらい?」
「30分くらいかな?」
「すぐに諦めたね」
「…」
子供の時はかなり歩いたような気がしたが、冷静になってみると、すぐに諦めていた。

 僕たちは、電車に乗り、彼女が住んでいるKまで行った。駅の西口に下り、居酒屋を探したが、僕はこの街は不案内だし、彼女もあまり飲みに行かないらしいので、結局、30分近く歩きやっと一息つくことができた。

「お飲み物は何に致しますか?」
「生ライムサワーをジョッキで」
「ウーロン茶」
店員が行った後、
「ウーロン茶?お酒強いでしょ?」とJさんを問い詰めると
「のど乾いたからね」と彼女は笑った。次から彼女は生ビールを頼んだ。
「酔うとスペイン語でしゃべり出すかもしれない」と彼女は言ったが、実際に話したスペイン語は「サルー」だけだった。
「Jさん、日本語うまいよ。ほとんど完璧!」
「ウソ、今のはウソ」
「嘘じゃないよ」
「いいえ、ウソ。今日2つめのウソ」

 10時少し前、日曜日の人の少ない夜の街に出た。
「今日は誘ってくれてありがとう。楽しかった」と彼女が言った。
「また、誘ってもいい?」と僕は訊いた。
「いいよ」と彼女が応えた。(2005.7.1)




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