無関心という病

 金曜日、仕事の休憩時間に買い置きのコーヒーがなくなっていることに気づき、近くのコンビニまで買いに行った。会社から歩いて1分のところにあるコンビニの前の歩道に、ひとりの老人が横たわっていた。酒に酔って寝ているのか、行き倒れているのか判断はつかなかったが、横にもうひとり知り合いらしい老人が佇んでいたので大丈夫だろうと思って、コンビニに入りコーヒーを買った。

 コンビニから出ると、横たわっていた老人は半身を起していて、ふたりの女性が心配そうにその顔を覗きこんでいた。横にいる老人が‘心配ないよ’とそのふたりに言っているようだった。恐らくたまたま通りかかった女性ふたりが、歩道に横たわっている老人が心配になり、声をかけたため眠りから醒めたのだろう。しかし、都会というのは道に人が倒れていても、ついつい声もかけずに、その横を通り過ぎて行ってしまうところなのだ。

 前に京王線新宿駅のホームに老人が倒れていたことがあった。僕を含め数十人の人たちがその人のわきを通り過ぎた。どこか体の具合が悪くて倒れているのか、それともただのホームレスなのか判断はつかなかったが、誰ひとり声をかける人はいなかった。僕の胸には小さな痛みがしばらく残った。何故、僕は「大丈夫ですか?」の一言をかけることができなかったのだろうか?

 ひとつはその人が行き倒れているのではなく、自分の意思でその場所に寝ている可能性があると思ったからである。またひとつは厄介なことに巻き込まれたくないと思ったからである。そして、もうひとつは自分が声をかけなくても誰かがかけてくれるだろうと思ったからである。

 日曜日、馬券とプリンタ用のカラーインクを買うため、渋谷に行った。大型量販店でプリンタ用のインクを買った後、渋谷駅東口のバスターミナル付近でBIG ISSUEを売っているホームレスの人を見かけた。前からこの雑誌には興味があった。一部買っていこうか…ふとそう思ったが、結局僕はその横を大勢の群集と同じく、通り過ぎてしまった。

 馬券を買った後、また渋谷駅に戻った。切符の券売機の前に、ホームレス風の男性が立っていて、切符を買っている人に話しかけている。何か、困ったことになっているような雰囲気だ。しかし、誰も彼の相手をしようとせず、黙々を切符を買い自動改札を通ってホームに向かっていく。

 「どうしたのですか?」と僕は訊こうとし、喉まで言葉が出掛かった。しかし、僕はその言葉を飲み込み、少し離れたところの券売機に190円を投入した。皆が彼を避けていた。たまたまに彼の近くの券売機にお金を投入してしまった人も、そちらの方を見ようとしなかった。

 僕は彼のことを気にしつつも、自動改札機に切符を入れた。そしてホームのある階段の方向に2〜3歩歩いたところで後を振り返ると、もうすでに彼の姿はなくなっていた。僕の胸にまた小さな痛みが走った。

 電車に乗ると、次の駅でひとりのお年寄りが乗ってきて、僕の目の前のつり革につかまった。席をゆずろうか?…しかし、お年寄りというには、ちょっと微妙だな…それに元気そうだし…。結局、僕はいろいろと言い訳を考え、その人に席をゆずらなかった。僕はまたしても「どうぞ」の一言が言えなかった。

 道に倒れている人を見かけても、券売機で困っている人を見かけても、電車の中で立っているお年寄りを見かけても、どうしても一言が言えない。都会に住む多くの人がそうであるように、僕も無関心という病に冒されているせいかもしれない。関心が全くないわけではない、しかし、面倒なことにはできるだけ関りたくないという病に。そして、それは深刻なレベルまできているように自分でも感じる。

 今度、何処かでBIG ISSUEを売っているのを見かけたら、思い切って言って見ようと思った。「一部、ください」と。(2005.5.10)



注)BIG ISSUE ホームレスの人たちの仕事をつくり、自立を支援する目的で発行されている雑誌。



皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT