夕暮れの風景

 金曜日、いつものように5時で仕事を終え、会社を出た。ここのところ、花粉症もよくなってきたので、会社近くの桜見物がてら川を越えた隣駅まで歩いて行くことにした。月曜日の風雨によって桜の花は大半散ってしまったが、まだ幾分かは残っていて、オフィスビルからわいてきたように出て来る会社員の一群が、僅かに残るその下を、僕とは反対方向の駅へ急ぎ足で向かっていく。

 道の途中で、反対側にある線路よりに道路を横断した。こちらの方は道とJRの線路との間に、ツツジの生垣がある。わずかに咲いている花と緑豊なツツジを眺めながら歩いていると、微かに空いている隙間に白いテーブルが置かれていて4人のホームレスの人たちが酒盛りをしていた。ツツジに囲まれてのお酒、なんと優雅なと思い、しばらく歩くと淋しい気持ちになってしまった。彼らのねぐらを見たからである。

 それは土の上にブルーシートを引き、その上に直接毛布が引かれているだけのものであった。これでは、夜露もしのぐことはできない。長い夜をそこで過ごすことを想像したら、心が寂寥感に包まれた。薄靄がかかる太陽はオレンジ色に膨らみ、地平線に落ちそうになっている。

 多摩川に出ると、何となく違う次元に落ち込んでしまったような気分になり、少し怖くなった。寂しそうな人たちが、ところどころに存在していたのである。土手に座り、コンビニ弁当をただ口に運んでいる初老の男性、放心したように川面を見つめている中年の男、中でも土手の上を走っている道にどかっと座り込みわけのわからないことを呟きながら小石を何処ともなしに投げている中年の女性に僕は恐怖を感じた。

 あまり近寄りたくはなかったが、どうしてもその横を通らなければならない。反対側から犬をつれた男がやってきて、彼女の横を無関心に通り過ぎていく。僕も平静を装いその女性のわきを歩く。彼女の座っているすぐ近くの部分が、いやな感じで濡れていた。頭には白いものがかなり混じり、中年というより初老に近いのかもしれない。何がしかの怒りが彼女から感じられた。

 僕が通り過ぎた後、彼女の声が後ろからした。「とっとと失せろ」と聞えたような気がして、小石が近くに落ちる感じがあった。その声が僕に向けられたものかどうかはわからない。あるいは犬の散歩をしていた男に向けられたものかもしれなかった。橋のたもとで遊んでいるふたりの子供も、何処か悲しい感じがした。

 多摩川に架かる新六郷橋から、河原を見下ろすとそこにはホームレスの人の住処が点在している。弱い夕陽が真横から、それらを照らし長い影を作っていた。その影の長さが、さらに僕を寂しい気持ちにさせた。

 橋を渡り、できるだけ線路に忠実に沿って歩いた。小さな工場や、住宅が連なるこの辺りは歩いていて愉しい。何処か見知らぬ遠い街を歩いているのだと自分に思い込ませ、辺りの風景を見る。そうすると何気ないものからでも、何かを感じることができる。太陽はほとんど地平線の下に落ちたようで、その陽を直接的に感じることはできなくなった。

 途中にある大きな公園でも、遊んでいる子供はもういなくなっていた。その前で中年の男性3人組みが競馬新聞を見ながら検討している。反対側から男2人女1人の3人組みが、幼児期の親の虐待について声高に話しながら歩いてくる。しばらく行ったところにある有名企業からはスーツを着た会社員がポツポツと出てきて、すでに暗くなった道を駅に急いでいる。僕も彼らの流れに呑み込まれ、駅へと流された。

 いろいろな夕暮れの風景…、人それぞれの夕暮れ。そのときをやさしい気持ちでむかえられたら…、そんなことを思った。(2005.4.17)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT