下着の揺れる坂道

 桜花賞の馬券を買いに渋谷のWINSまで行くため、お昼ちょっと前に家を出た。南よりの風が心地よく、日差しこぼれる気持ちいい日だ。桜花賞が行なわれる阪神競馬場は午後から雨らしいけど、ほんとかな?だけど、あまりの気持ちよさにそんなことはどうでもよくなった。馬場の悪化を予想に加味したって、当るときは当るし、外れるときは外れるのだ。

 家を出て、少し歩くと住宅街を下る狭い坂道がある。その坂の上からは坂の延長線上にある緑茂る神社の小山が見え、新緑の葉を輝かせている広葉樹の中に桜の花が咲いていた。この坂道を下っていくと、3階建てのマンションがある。何故かこのマンションは、というよりこの道に面した建物は道路に対して直角に区画されておらず、斜めになっている。したがって家から駅に向かうとこのマンションのベランダ側がオープンサイドになっていて、さらにマンション横の家の玄関がやや奥に引っ込んでいるせいもあり、そこに干された洗濯物は道から丸見えになる。

 このマンションの2階の角部屋のベランダには、いつもほとんど艶かしい下着が干されている。赤や黒や紫のパンティやブラジャー、透けていたり生地が少なかったりする淫靡なそれらの花々を見て、一体どんな人が暮しているのだろうとついつい想像してしまう。下着の感じからだと、それほど若くはなく、30代半ばから40代前半くらいの清楚でいて妖艶な雰囲気をもった…、そう黒木瞳のような感じの女なのではないだろうかと勝手な想像を膨らましている。

 この坂道を抜けると桜並木の駅に通じる道に出る。白に僅かな紅を垂らしたような色の花弁が風に舞い、春の雪のようだった。薄いピンクのトンネルの中、あまり車の通行がないこの道も薄いピンクの絨毯が引かれていて、それらが風に波だって足元に打寄せる。歩く人、自転車に乗る人の顔も心なしか穏やかで、桜の花は春と同時に喜びまで運んできてくれたようである。正に桜花賞日和という感じだ。

 駅ではいつもは乗り継ぎを考え改札を入った後、向かって右側の階段を上がるのだけど、今日は桜並木がホームから一望できる左側の階段を上がった。延々と繋がる桜並木を見ていると風で桜の花弁がひらひらと目の前まで飛んでくる。まさかここまでは…と思って辺りと見まわすと、足元に花弁が3〜4枚落ちている。何故かそれがとても貴重なものに思え、一枚拾ってキャンバスコートのポケットに仕舞った。

 いつものように渋谷で馬券を買った後、恵比寿まで枝垂れ桜の道を歩いた。陽が気持ちよく、風は強くなった。恵比寿では本屋により、運良く買いたい本も見つかり、帰路に着いたのだけど、JRを使わず歩いて目黒まで出た。恵比寿から目黒までは、ところによっては異次元に入り込んでしまったような空間が残っていて歩いていて愉しい。

 目黒から私鉄に乗り、2時前に家の最寄り駅に着いた。かなりの人が桜見物に繰り出していて、外人さんの顔もちらほらと見える。強い風によってさらに桜の雪は激しくなり、道に引かれたピンクの絨毯はさらにその厚さを増して、滑って歩きづらいほどになっていた。明日は、桜散らしの雨が予想されていて、或いはこれが今年最後の桜かもしれないと思うと、ピンクの小さな花がさらに鮮やかに目に映った。

 往きは下った坂道を、帰りは上る。そして例のマンション、帰りはベランダが影になり、その変わり玄関がオープンサイドになる。その坂道をとぼとぼと上り、そのマンションを過ぎて、数メートル歩いた辺りで何気なし振り返ると、女の人が下着が乾いたのであろう、それを取り込んでいた。

 いや、はや、ずいぶんと太った黒木瞳だった。そこにいたのは何処にでもいる普通の中年のおばさんである。昨今ではこのようなおばさんも、あのような艶かしい下着をはくのだろうか?‘知らぬが仏’!確かに世の中には、知らない方が、知らなかった方がよかったということが存在する。そんなことを実感した1日だった。

 さて、肝心の桜花賞。僕がG1レースの中で唯一馬券をとれていないレースだ。名手岡部騎手は桜花賞を勝てないまま引退してしまったが、僕はいつかはとりたいと思っていた。阪神競馬場でも雨は降っておらず、良馬場の中レースは行なわれた。この文章を締めくくるには、肝心の馬券も外れて、あーあ桜散るの1日だったとまとめるのが、美しいかもしれない。

 しかし、馬券は当った。応援していたシーザリオが勝てなかったのは残念だけど、馬券はとった。キャンバスコートに入れてある馬券を取り出してみると、桜の花弁がひとひら、押し花のように貼り付いていた。それは電車のホームで何気なしに拾い、ポケットに入れたあの花弁だった。(2005.4.10)




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