子供のように

 朝、春雨が降っていた。濡れても冷たくない雨…、季節は確実に移っている。駅に着くと、ちょうど電車が来たところだったが、あまりの人の多さに1本遅らせることにした。人が電車で運ばれて、閑散としたホームから反対側のホームを見ていると、小学校1年生くらいの男の子と女の子がじゃれあっていた。ふたりの近くには母親と思われる女性が2人佇んで、話している。子供たちがはしゃぎ声を上げるたびに「静かにしなさい」とか「止めなさい」とか注意しているようだが、それほど強い調子ではなく、あまり効果はないようだ。

 子供たちは、飛んだり、跳ねたり、駆けたりと楽しそうで、とても動物的な感じがした。そう、子供ってとても動物的だ。母親に、しっかりと抱き付いている姿とか、食べ物を頬張っている姿とか、跳ね回っている姿とか、気持ち良く眠っている姿とかにそれを強く感じる。僕が長い年月をかけて無くしてしまったものをまだ豊富に持っている。じゃれあっている女の子と男の子を見ていて、何だかとてもうらやましく思った。

 やっと電車が来て、中に乗り込むと、急に鼻がムズムズとしてきた。そう、一昨日、昨日とかなりのスギ花粉が飛来したようなのだ。今日は雨が降っているので、そんなに飛んではいないはずだけど、車内には衣服に付着した花粉が飛散しているようで、目鼻が辛くなってくる。僕が一番、症状が酷くなるのは外ではなく、電車の車内だったりする。最近は花粉のせいか体調が悪くて、目は痒いし、口の中も痒いし、鼻は詰まる、頭は痛い、顔や指に湿疹ができたり、肩が凝ったり、水のような便がでたりと辛い日々が続いている。

 電車を1本遅らせると、その後の乗り継ぎが全部狂ってしまって、会社の最寄り駅に着いたのは8時54分だった。遅刻するのはいやだったので、久しぶりに走り、タイムカードを押したのは8時58分。何とか、間に合ったけど、花粉をいっぱい吸い込んでしまったせいか、のどと肺が痒くなってしまった。朝から悪かった体調がますますおかしくなった。

 1階にゴミ出しに行くと、先日入った新しい集配の人が車を出す準備をしていた。ここのところ集配を担当している人間が相次いで辞めてしまい、その後入った人も途中で気持ち悪くなったとかで、わずか半日でいなくなったりと、人手不足で困ったことになっていて、現場の人間が持ち回りでその仕事をやったりしていたのだ。集配の仕事は同じ所に1日3回も行く。それが楽だという人もあれば、いやで仕方ないという人もいる。

 新しく入った人は60代くらいの男性で真白になった髪を短く刈り込んでいて精悍な感じがする。定年退職後の再就職らしいとの話を聞いた。軽く挨拶をすると、さすがにこの年齢の人らしくものに老いていて物腰も柔らかく感じがいい。この人は長く続くような気がした。

 いつものように17時で上がり、帰りの電車で席に座り、発車を待っていると目の前にお母さんと2人の子供が座った。ふたりは小学校2年生くらいのおねえちゃんと年子のような弟だった。ふたりはお母さんを挟んで左右に座った。真中に座っている母親は熱心に携帯電話でメールを打っているようだった。

 「おねえちゃん、お菓子ちょうだいよ」と向かって左側に座っている弟が姉の方に身を乗り出して言った。向かって右側に座っている姉は何の反応もしない。
「ねえ、この前グミあげたでしょ!」と弟はさらに強い言ったが、姉は無反応のままだ。
 「ねえ!」と弟がさらにいうと、姉は持っていたバッグに手をかけた。弟に負けてお菓子を出すのかと思ったら逆で、開いていたバッグを閉じただけだった。弟は母親に、姉の無慈悲を訴えようとしたが、「静かにしなさいよ。ほら邪魔」とメールに熱中していて相手にされず、ふたりの方に尻を向けてシートに横になり、ふて寝してしまった。ふて寝するときは、だいたいいつも横向きになるというは何かわけがあるのだろうか?

 しばらくすると弟はほんとに寝入ってしまったようで、真正面を向いて微かな寝息をたてていた。ついさっきまで怒っていたのに、もうみんな忘れてしまったような可愛い寝顔をしていた。そんなやすらかな寝顔を見ていたら、とてもうらやましくなった。

 子供のように無邪気に恋人や友人とじゃれあったり、いやなことがあってもすぐに忘れてぐっすりと眠れたらどんなにいいかと思った。何で、大人になるとそうでなくなってしまうのだろう。子供は楽しいことを常に追いかけている。大人には楽しくないことが波のように次から次へと打寄せる。そして、その中で溺れていくのかもしれない。だけど、そのうち泳ぎを覚え、それがうまくなれば何かが変わってくるのかもしれない。そうすれば、どんな海だって楽しくなるさ、きっと。(2005.3.13)




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