旅の後…

 北海道から帰って来て1週間が経った。苫小牧から大洗までのフェリーの切符がとれず、青森の八戸から東京のアパートまで約700Km、、2日かけてバイクで延々と下道を自走したせいか、帰ってきてから何もやる気が起きない。

 初日は八戸から宮城県の白石まで走った。ちょうど仙台の七夕祭りと重なってしまったため、仙台周辺は大渋滞しており、白石に着いたのはもう午後8時だった。暗くなった見ず知らずの街で、宿をみつけるのは容易ではなく、駅前にでんと建っているホテルに宿泊を断られて、途方に暮れてしまった。藁をも掴む気持ちで駅前の交番に飛び込み、宿探しを手伝ってもらった。年配の巡査はあまり熱心でなかったけど、若い巡査の方は真剣に対応してくれて、僕好みの旅館に宿泊することができた。

 八戸から東京までの距離的な長さはそれほど感じなかったのだけど、この暑さにまいってしまったようで、2日目、宇都宮のコンビニで食べ物を買い、店の前で食している時、かなり体にきているなと感じた。熱中症というものになりかかっていたのかもしれない。

 日曜日、2週間の旅行で汚れたバイクやキャンプ用品のメンテナンスをした。帰って来てすぐにやらないと、そのままずるずるになってしまいそうなので、気合を入れて行なった。そして月曜日、久しぶりの仕事だった。

 ほとんどのパートさんが夏休みのため、人が極端に少なく、また仕事も大変少なかった。僕は休み空けは、調子が悪く、エンジンがかかるまで時間がかかるタイプなのだけど、以外と体が動いた。だけど、気持ちのほうはまるでやる気がでない。

 しかし、このやる気がでないというのがよかったようで、淡々と仕事をするといった状態になった。旅行の前はリーダーの仕事の進め方や人の使い方がしっくりと来ず、不満だらけだったのだが、旅行の後はもうそんなことどうでもよくなり、でしゃばらず水のような無味無臭の気持ちで仕事を進めた。このような心境がいつまで続くかわからないが、もし長く続くようだと、自分の中で何かが変わったということなのかもしれない。

 考えてみると、この北海道旅行は今までの旅行とちょっと違っていた。全く何の意気込みもないまま、旅に出た。だけど、旅行期間中に感じた海の碧さや、花の美しさ、緑の逞しさといったものはいままでより遥かに強く心に迫った。或いは、心の状態がニュートラルだったからこそ、心の奥深くまでそういったものが入ってきたのかもしれない。圧倒的な自然の前に何かすべてがどうでもいいようにさえ思えてきた。

 また、詳しくは旅行記の方に書くつもりだけど、北海道で出会った人たちの自由な生き方に感染したせいのかもしれない。何から何まで、縛られているような社会でも、気持ちひとつによって、その縄はきつくなったり、ゆるくなったりするのだと思う。

 僕は旅が終わってしまうと、しばらく虚無感に包まれ、ベトナム帰還兵のように佇むことしかできなくなるのだけど、今回はそれが深く、しかし短期間で終わった。今ではもう来年の夏のことを考えていたりする。

 体の方は、かなりの疲れが、それも時間をおいてやってきた。特に木曜日はそれがピークになって、朝7時15分に目覚まし時計をセットしているのだけど、それを何回も止め、起きられたのは7時30分過ぎに、それがややヒステリー気味に鳴った時だった。

 今、使っている目覚まし時計は、ベルが鳴った時、頭のボタンを押すとそれが止まり、また3分後に鳴り出す。その音は前よりもやや大きくなるように設定されているようで、15分間というと、それを知らぬ間に5回も繰り返したことになり、最後はかなり激しい音になっていた。

 旅の間は目覚まし時計もないのに、だいたい4〜5時には目が覚めていて、朝、歯を磨いたときも吐き気などなかったのに、東京に戻ると、また朝の歯磨き時の吐き気が復活したりする。都会の生活は僕には合わないのだろうか?

 1回ツーリングに行くと、旅心が疼き出し、すぐにまた行きたくなってしまう。秋になったら、奥会津の方でも行ってみようかしらと思った。(2004.8.14)




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