フォロー・ミー

 水曜日、会社の上司に誘われて、バイト仲間ひとりと3人で昼食に出た。昼食に向かう途中、上司とバイト仲間が並んで歩き、その後に私が続くという格好になった。そのバイト仲間は私よりも年が若く、さらに働き始めた時期も私より半年くらい後なのだから、上司と私が並んで歩き、その後を彼が歩くという姿が自然のように思うのだけど、自分としてはあまり違和感を覚えることはなかった。というのも私は今度の場合に限らず、3人以上の団体で歩くときは、だいたいいつも最後方なのだ。

 特に一番後を歩こうという意識はないのだけど、気づくとみんなの後ろをとぼとぼと歩いている。飲み会の2次会に行くときや、出張で出先に向かうとき、阪神を応援するため仲間と球場に乗りこみときなど、考えてみればいつも一番後をだらだら歩いている。いや、いや歩く時だけでなく、バスに乗ったときもでも、だいたい一番後の4人掛けくらいの席に座ることが多い。

 ある程度の人数で歩くとき、その集団のどの辺に位置するかというのは、その人の性格と密接な関係があるように思う。当然、先頭を歩く人はリーダータイプで、その集団に社会的序列があるときはその中での最上位の人が多いように思う。その横や、やや後を歩く人は、No2タイプの人という場合も多いだろうけど、強いものにゴマをする調子のいい性格で、仲間うちではあまり好かれておらず、影でいろいろと悪口などを言われるタイプが多いのではないだろうか。中段に位置する人は、その他大勢といった感じで、いわゆる普通の人で従順なタイプのような感じがする。そして一番後方を歩くのは、あまり組織になじまない人のように思う。反抗的であったり、団体行動が苦手だったり、人となかなか打解けない性格だったりといろいろなタイプはあるだろうけど、組織の中で中心ではなく、端の方にいるような感じの人が多いのではないだろうか。

 自分のことを考えても、常にはみ出していたように思う。それはもう小学生のときから、延々とそうだったから、いまさら変わることもできないし、それに後って楽なのだ。前を歩いている人、すべてが見えるし、何処か傍観者的立場で心に余裕が出たりする。一番前を歩くのは疲れるし、その人にコバンザメのように寄り添って歩くのなんてできるタイプじゃないし、かといって真中辺りも窮屈だし…。というわけで私は常にみんなの後ろを、自分のペースで歩くのが、好きなのだ。だけど、この日は3人で、そのちょっと離れた3番目なのだから、やや疎外感を覚えてしまった。

 上司は行き付けの店に入り、そこは魚料理から肉料理まで幅広いメニューがあった。上司は刺身定食を、後輩のバイト仲間昼は生姜焼き定食を、そして私はランチ(豚のみそ焼き丼にミニうどんが付いたもの)を食べた。だいたい昼は、パンだとか、うどんだとか、ソバだから、久しぶりにしっかりとした物を食べたという感じだった。

 しかし、やはり上司がいっしょだと、精神的に疲れる感じがした。貧しい食事だけど、いつもの仲間といっしょに食べている方が、はるかに楽しい。食事やお酒で一番大切なのは、誰といっしょに食べたり、飲んだりするかということなのかもしれない。

 それにしても、いつも人の後について歩く自分が憧れるのは、ジャンヌ・ダルクのように「フォロー・ミー」と言ってみたいということだ。「フォロー・ミー」と叫んだところで、誰もついて来ないだろうけど、ひとりだけでもついて来てくれる人があったら、どんなにうれしいだろうな、などと想像してしまう。(2004.7.17)




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