雨に濡れても

 朝、家を出るとき、TVの天気予報を見たら、昼くらいに一時雨が降り、その後止み曇りになるだろうが、夕方から本降りになるといっていた。帰りが夕方以降になるのだから、傘を持っていったほうがいいのはわかっていたけど、今は降っていないのだし、天気予報が当るかどうかもわからない、それに雨に濡れたって別にかまわないと思い、僕はいつものようにバッグだけ持って仕事に向かった。

 会社の最寄りに駅に着いた時、ぽつりぽつりと僅かに雨が落ちていた。やけに降り始めが早いと思ったが、それは数歩歩く間に一滴か二滴、肌に感じるくらいの量だったので、それほど気にはならなかったけど、仕事が始まり、下のフロアーに書類を届けに行こうとして、エレベータを待っていたが、なかなか来ないものだから、外の階段を使おうと思い、扉を開くと外は雨が激しく降っており、それはもう土砂降りという表現をしてもいいような感じで、早くも昼休みどうやって外出しようかなどと心配になってしまった。

 しかし、土砂降りというのはそうそう何時間も続くものではない。案外、昼くらいにはもうすでに雨は止んでいるのではないかと、都合のいい観測をしたのだが、10時に出勤してきたアルバイトの人に雨のことを訊くと、「そんなに降っていませんでしたよ」という応えが返ってきて、心の中も多少は明るくなった。

 そして昼休み、確かに雨はあまり降ってはいなかった。しかし、傘を持っていれば差したくなるくらいの降りだった。それに雲行きも怪しく、いつまた土砂降り状態になってもおかしくないような感じで、会社の駐車場で不安そうに空を見上げていると、たまたま知り合いのパートの人が上の階から降りてきた。彼女の手には折りたたみ傘があったので、「いっしょにお昼どう?」と声をかけると、「いいよ」と言われたので、いつも行くところに行き、昼食をとりながら楽しく話した。

 楽しい時間は短い。「そろそろ時間じゃない?」と促され、会社にいっしょに戻ろうとすると「仕事、暇だから私、お昼までなのよ。それじゃー」と言われ、会社とは反対方向にすたすたと歩いていってしまい、僕の目論見は見事はずれてしまった。土砂降りになっていないことを祈りながら、空が見えるところまで来てみると、それが天に通じたのか雨はほとんど止んでいて、傘を持っていたとしても、さそうとは思わないくらいの降りだった。

 社屋に入ると、何処からそのような自信が生まれたのかはわからないが、帰りも大丈夫のような気がしてきて、雨のことはほとんど忘れて、のんびりとした気持ちで暇な週末の仕事をのほほんとやっていたのである。

 仕事も6時には終わり、タイムカードを押し、ふと近くにいた人を見ると、その手にはしっかりと傘が握られていて、不安が心を過ったのであるが、外に出てみると、土砂降りというほどではなかったが、雨が本格的に落ちていた。幸い、会社から最寄りの駅までは近く、また屋根のある場所を多く通るので、そんなに酷く濡れるということはなかったけど、問題は家の方なのだ。最寄り駅から家までは徒歩で15分くらいかかり、アーケード等の道に屋根がある場所など皆無で、15分も本降りの雨の中を歩くなんて、想像するのもちょっといやだった。

 そういえば最近、そんなに雨に濡れたという記憶がない。子供のときは、雨に打たれてよくびっしょりになったけど、ある程度の年齢を過ぎてからは、そういったこともなくなってしまったような気がする。大人になれば、そういった状況を回避するいろいろな知恵がつくからだろうが、それだけもない気がする。子供のときは雨に濡れても、どこか楽しかった。それがいつしか、雨に濡れることが楽しくなくなり、ただいやなことになってしまった。

 家の最寄り駅に着いた時、雨はさらに激しくなっていた。ただ、雨粒は大きかったが、粗く降っているという感じで、そんなに酷く濡れそうにはない。それに濡れたら濡れたで、それもまたいいような気になった。たまには雨に打たれて、濡れ鼠になるのもいいかもしれないと思った。子供のとき、よく味わったあの感触を、また感じてみたいという感傷もあったのかもしれない。

 僕は雨の中をいつもと同じように歩いた。雨は髪を濡らし、やがてその滴が顔に落ちてきた。だけど、何となく気持ちよかった。風を気持ちいいと感じるように、陽を気持ちいいと感じるように、雨もまた、心持ちひとつで気持ちいいと感じることができる。久しぶりに傘もささずに、雨の中を歩いた。(2004.6.26)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT