愛車の廃車

 愛車を廃車にした。一昨年、車検を通したときから、次はもう通さないことを決めていた。新車で買って、実に13年間も乗っていたことになる。僕はものに対する関心はないほうだけど、ものにあきるということもないようで、ほとんどみんな致命的な故障でもしないかぎり買い替えるということはない。バイクも4年前に買い替えたけど、それまで12年間も同じバイクに乗っていたし、ミニコンポも片方のスピーカーから音がでなくなるまで約20年近くも使い続けた。

 この性格は昔からのようで、中学に入学したとき買った布製の筆箱も使い続けて、穴が空いたり、破れたりしても修繕して、専門学校を卒業するまで学生の間ずっと使い続けたし、スニーカーも底に穴が空いて、雨水が入って来るようになっても履き続けたりして、友人から変人扱いされたこともあった。特に物を大切にしようとか、特別な愛着を覚える性質でもないのだけど、そんなところがある。恐らく新しいものに買い替えるのが面倒臭いといったずぼらな性格のせいだろう。

 この車を買ってすぐに僕は会社を辞め、北海道・東北一ヵ月の旅にいっしょに出た。旅に出る前、自分の不注意から車のアンテナを終い忘れて、駐車場の屋根にぶつけて折ってしまい、ラジオの入りが悪くなってしまうということがあったけど、自分にとっては面白いちょっと感傷的な旅になった。旅の後半になり、家に帰りたくなくなって、車の中で寝泊りを繰り返すということ続け、これがその後数年間、自分の旅のスタイルとなった。

 車だとバイクや列車と違い、宿が見つからなくても、車の中で寝てしまえばいいわけで、その安心感が旅の自由度をかなり高めた。九州に行った時も、四国に行った時も、そして北海道に行った時も、ほとんど車中泊だった。

 それに、車だと同乗者がいる場合もある。その同乗者の種類にもいろいろあるけど、車の中のとりとめの会話は楽しい。閉ざされた空間だから、できる話というものある。ラジオから流れる歌に合わせて歌ったり、ずいぶんと楽しい時間を持つことができた。さらに車だと天気にも強い。雨が降っていても、気温が高くても、低くてもほとんど関係ない。車内でジュース片手に、地方のラジオ放送を聞きながらのドライブはほんとに楽しく、気持ちよかった。しかし、そのような長所がそのまま短所となった。

 車は閉じた箱のため、どうしても外界との接触が減ってしまうのだ。これは、ひとり旅だと、その面白さを半減させてしまうほど重要なことだ。外に開かれたバイクの旅にくらべ、物理的・精神的に閉塞感を持つことになった。そして、気候の影響をあまりうけないというのは、ひるがえせば自然を感じられないということになり、楽だけど決定的な面白さに欠ける部分が見えてきた。ここ数年は車での長距離の旅は年に1回行くか、行かないかくらいになってしまい、バイクで自然の奥まで入っていくキャンプを主体とした旅が僕の中で面白くなっていった。車の自分に占める位置が相対的に低下していた。

 とはいっても13年も乗って、いろいろなところをいっしょに旅し、いろいろな想い出がいっぱいにつまった車だったから、一抹の寂しさはどうしようもない。月並みな表現になってしまうけど、心の一部分のぽっかりと空間ができてしまった感じがする。

 駐車場の借賃の高さも車の廃車を決めた大きな要因だ。1月約32000円は、やはり大きい。僕が車を買った13年前は駐車場を探すのにも苦労したほどで、そのために車を買いたくても買えない人もいたくらいだった。東京ではまず、駐車場を確保しないと車を買うことはできないのだ。僕もいくつか不動産屋を回り、1月45000円のところをやっと見つけることができたくらいだった。その後、日本の経済事情は大きく変わり、多少なりとも安い駐車場に空きが出てきた。今では空いているところも多いが、東京だとどんなに安くても20000円くらいはするのではないだろうか。

 最近では、車に乗る機会は少なくなっていたけど、なくなってしまうと急に乗りたくなったりするから人の気持ちは厄介なものだ。なくなって、はじめてそれが自分にとってどういうものだったのかが、わかるのかもしれない。

 車がもって行かれる日、仕事をしながらもふと、寂しい風が心に吹いた。(2004.5.22)




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