政治家の発言あれこれ

 一昨日(4月15日)、イラクで武装勢力に拘束されていた3人の日本人が解放された。ほんとに喜ばしいことだけど、政府及び政治家からは3人を非難する声も多く聞かれた。そのあまりにレベルの低い的外れな発言を聞いて、いささか唖然としてしまった。いつから日本はこんな国になってしまったのだろう。人は危機に陥ったとき、はじめてその人の真価がわかるという。今回の事件は期せずして、それを浮き彫りにしてしまったように思う。

 今回の事件についての発言をひとりひとり検証してみよう。まずは小泉首相。
人質になっていた3人の中にはまたイラクで活動したいといっている人もいるがとの記者の問いかけに対して
「いかに善意でもこれだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれたのに、なおそういうことを言うのか。自覚を持っていただきたい」
このようなことは人質になった人たちの親や兄弟が言うようなことで、総理大臣の発言ではない。国が海外で拉致・誘拐された市民の救出に全力を尽くすのは当たり前のことだ。政権を危機的情況に追い込んだ人たちへの苛立ちが出ているように思う。しかし、実際にこういう情況をつくったのは、日本人を拘束したイラクの武装勢力で、何故イラクの武装勢力が日本人に限らず、人質作戦に出ているかといえばファルージャでの米軍の常軌を逸した掃討作戦せいであり、さらにさらにと突き詰めていけばこの何の大儀もない戦争を始めてしまったブッシュ政権に行きつく。舞台裏ではいろいろと苦言を呈しているかもしれないけど、そのブッシュ政権を未だに支持している小泉首相こそ、この戦争がどういう戦争なのかということを自覚を持ってもらいたいと思う。

福田官房長官はやはり同じような質問を記者から受けて
「帰国して、頭を冷やしてよく考えて判断されることだと思います」
と述べた。文章にしてしまうと常識的な応えように思えるが、映像で見ると冷たいニヒリストといったいつもの感じで人間的な温かみが全く感じられなかった。人質が無事に解放されたという喜びの気持ちより、小泉首相と同じく「迷惑をかけやがって」といった苛立ちが出ていたように思う。

中川経済産業相は記者会見で
「人によってはまた行きたいといっている。万一のときは自己責任を負ってください。政府、関係者、道庁、外国、イラクの方々に迷惑をかけないで自己責任でやっていただきたい」
と自己責任を強調した。自己責任とは具体的にどういうことなのだろう。確かに現在のイラクは危険な地域で、ボランティアだろうとジャーナリストだろうとそれでも行くと決めたときには恐らく覚悟はできていると思う。その覚悟とは命をかけるということだと思う。たとえ、死んでもそれは誰もせいでもない、自分の責任だという覚悟だ。しかし、今回のような事件が起きたとき、自己責任で行ったのだから、政府は関係ないということにはならない。政府には国民の生命と財産を守るといった使命がある。それを放棄したら、それはもうまともな国家ではない。このような発言は「日本はまともな国ではない」と諸外国に宣伝しているようなもので恥ずかしい限りだ。しかし、さらに恥ずかしい発言もある。

井上防災担当相
「帰ってくる飛行機代はどうするのか。本来、個人が負担していいものは本人ということになるのではないか」
細かい…。これは外務省の事務方が被害者並びその家族と協議するような話しで、政治家が公の場所でいうようなことではない。

最悪なのはこの2人である。
自民党田村副幹事長
「退避勧告が何度も出されており、自己責任で解決を図るのは当然。救出にかかった費用は堂々と本人に請求すべきだ」
公明党冬芝幹事長
「解放までに政府がかけた費用を国民に明かにし賠償を求めてもいい」
一体この人たちの頭はどうなっているのであろうか?被害者に「かかった費用を負担しろ」とか「賠償を求めてもいい」とか、人質が無事に解放されたことを全く喜びもせず、かかったお金のことだけ話題にするとは政治家というより人間の血が流れているのかと疑う。呆れるというより、恐ろしさを感じる。

最後にアメリカ政権内で唯一まともだと思われるパウエル長官がJNNとのインタビューで今回のことについて話している談話を紹介しよう。あまりに底の浅い日本の政治家とのレベルの違いを感じてしまった。

(日本の一部で、人質になった民間人に対して、「軽率だ、自己責任をわきまえろ」などという批判が出ていることに対して、)
「全ての人は危険地域に入るリスクを理解しなければなりません。しかし、危険地域に入るリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。彼らは自ら危険を引き受けているのです。ですから、私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を呈したことをうれしく思います。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです。また、イラクに自衛隊を派遣したことも誇りに思うべきです。彼らは自ら危険を引き受けているのです。たとえ彼らが危険を冒したために人質になっても、それを責めてよいわけではありません。私たちには安全回復のため、全力を尽くし、それに深い配慮を払う義務があるのです。彼らは私たちの友人であり、隣人であり、仲間なのです」(2004.4.17)




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