さくら坂

 ここのところ仕事が忙しくて、その疲れがたまっていたのか昼過ぎまで寝てしまった。正確にいうと10時過ぎに1度起きて、小用をすましたり紅茶を飲んだりしたのだけど、体がだるかったので布団に横になったら、知らぬ間にまた寝込んでしまった。

 昔なら、こんな天気のいい休日に寝ているなんて時間を無駄にしたという自己嫌悪に陥ったりしたけれど、最近はあまりそういうことを思わなくなった。布団の中で好きなだけ眠れるなんてかなりの悦楽であることには違いない。別に休みで天気がいいから何処かに行かなくてはいけないなんて強迫観念にかられることもない。眠たいときは寝ていればいいんだと思うようになった。ただ単に年をとっただけかもしれないけど…。

 1時過ぎに昼食をとった後、しばらく本を読んでいたけど、せっかく桜も咲いていることだし見物にでも行こうかと思った。家の近所にはいろいろな桜の名所があるが、天気もいいし、さくら坂までぶらぶらと歩いていくことにした。さくら坂までは徒歩でだいたい1時間くらい。散歩にはちょうどいいくらいの距離かもしれない。

 さくら坂までの道中にも桜の名所がある。そのひとつが洗足池だ。その昔、日蓮上人が足を洗ったことから、この名称がついたらしい。池の周りには多くの桜が植えられていて、淡いピンクの花と暗い池の水面とのコントラストが美しい。池には数多くのボートが浮かんでいた。

 東急池上線の洗足池駅前は花見に来た人で混雑していた。近くのコンビニエンスストアの店員が駅から87歩という看板を持って花見に来た人達を店に誘っていた。この絶好の位置にあるコンビニにとっては1年で最大の稼ぎ時なのかもしれない。店の外におでんの鍋が出され、ふたりの女性店員が客を呼び込んでいた。桜の花の下、おでんをつまみながらお酒でも飲み、親しい人達とわいわいやるのは最高だろうなとうらやましく思った。僕は洗足池の桜を横目に見ながら、さくら坂に向った。

 さくら坂に近づくに連れて、人通りが多くなってきた。だけど、思ったよりはましで、比較的のんびりと桜を愉しむことができた。携帯電話に付いているカメラで桜を撮影している人が多かった。さすがに赤く塗られた橋の上はそんな人でいっぱいで、ほとんど空いている場所がなく、僕はその上を歩くことは止めた。

 さくら坂は福山雅治の歌で全国に知られることになった。確かに桜の名所だろうけど、やはりここは都会に似合わない懐かしい感じのするひっそりとした坂の方に趣きがあるような気がする。桜の花はその趣きのある坂を1年のある一時飾る美しい装飾なのだ。 さくら坂を下り終えると、ひとりの女の子がデジタルカメラのファインダーをのぞき、もうひとりの女の子を道路際に立たせてさかんに構図を練っていた。何となく予感があったけど、僕が横を通り過ぎようとすると
「シャッター、押してくれませんか?」と頼まれた。
「はい」というと
「あの、看板を入れてくださいね」と言い、信号機の下につけられた「さくら坂」という表示を指差した。
「あ、わかりました」と僕は気安く返事をした。女の子は僕に小さなデジタルカメラを渡してもうひとりの方に走って行き、お互いに顔を傾けて近づけにっこりと笑った。そのデジタルカメラのファインダーが何処にあるのか一瞬わからなかったが、何とかそれらしいところをみつけて覗いて見ると、意外にその看板を入れる構図が難しいことに気づいた。首を傾けてふたりでにっこりと笑っている女の子の顔を中心に持ってくると、完全に看板が切れてしまうし、看板を入れると女の子の顔は下に行き過ぎてしまい不自然な写真になってしまう。どうしようかと思っているときに、ふと太宰治の「富嶽百景」の最後の場面を思い出した。

 太宰治が御坂峠の天下茶屋という小さな茶屋に滞在していたときのことを書いたこの小説の最後の場面で太宰は観光に来た若い女性ふたりにカメラをわたされて富士山をバックにシャッターを押してくれと頼まれる。

“(前略)私は平静と装い、娘さんの差し出すカメラを受け取り、何気なさそうな口調で、シャッタアの切りかたをちょっとたずねてみてから、わななきわななき、レンズをのぞいた。まんなかに大きい富士、その下に小さい、罌粟の花ふたつ。ふたり揃いの赤い外套を着ているのである。ふたりはひしと抱き合うように寄り添い、屹っとまじめな顔になった。私は、おかしくてならない。カメラを持つ手がふるえて、どうにもならぬ。笑いこらえて、レンズをのぞけば、罌粟の花、いよいよ澄まして、固くなっている。どうにも狙いがつけにくく、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。
「はい、うつりました」
「ありがとう」
ふたり声をそろえてお礼を言う。うちへ帰って現像してみた時には驚くだろう。富士山だけが大きく大きく写っていて、ふたりの姿はどこにも見えない。”

 全くふざけたおやじであるが、しかし、僕にはふたりをファインダーから追放して‘さくら坂’の看板だけを写すなんていう度胸はないし、そんないたずらをすればデジタルカメラなのだからすぐにばれてしまうだろう。

 ふたり顔を傾け寄り添ってにっこりと笑っている女の子のために、シャッターの位置をふたりに確認して、さくら坂の看板を入れて、もちろんふたりの可愛い顔も入れてパチリ。
「撮れましたよ」
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
僕は笑いを堪えながら、多摩川の土手に向かった。(2004.4.3)




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