朝の出来事

 いつものように通勤電車に乗った。一駅過ぎると、いつものように多くの乗客が降り、車内が一気に空いた。そして、これまたいつものように空いたシートに座り、ウトウトとしかけた頃、男女の言い争う声が聞えてきた。

 初めは恋人か夫婦同士の喧嘩かと思って、あまりに気にしなかったのだけど、女性の声が急に大きくなり、その言葉使いから他人同士の揉め事だとわかった。男性の声は低く、何を言っているのかは今ひとつわからなかったが、何となく情況が掴めた。

 恐らく車内で女性の方が男性の足を踏んだか、体にぶつかったかしたのだろう。男性はその偶然であろう出来事にカッときて、その女性を小突いたか叩いたかそのようなことをしてしまったようだった。

 女性はさかんに「あなたのやったことは傷害罪ですよ。次の駅で降りましょう。駅員に話しを聞いてもらいます」とその男性に言っていたが、僕の席からはその女性も言われている男性の姿も見えなかった。声からして女性の方は中年のようだった。男性も何か言っているようだが、はっきりと聞えない。しかし、その声から少なくても中年以上の人のようだった。「降りないよ」と言っている言葉だけが聞き取れた。女性の激しい剣幕に車内の乗客のほとんどがこの出来事に聞き耳を立てているのがわかった。

 「傷害」と女性は言っているが、それほど激しい暴力がなかったことだけは、その女性の怒ってはいるが落ち着いた言葉使いから感じられた。しかし、通勤中であると思われるのに、途中下車を男性に要求しているのだ。会社に遅刻することも厭わないほど頭に来ていることは確からしい。

 男性は女性の要求に従わなかった。つまり、次の駅で降りなかったのだ。女性はさらにまた次の駅で降りることを執拗に要求した。「次の駅で降りてください」「降りないよ」というやりとりが繰り返された。そしてついにという感じで男性がきれた。「うるせえんだよ!」と女性を一喝した。

 しかし、女性はそれに全くひるむ様子はなく、「いいから、次の駅で降りてください」とさらに語気を強めて男性に迫った。電車が次の駅に着く前、男性は女性から逃げるように車内を早足で歩き始めた。そのため、僕はふたりの姿を見ることができた。

 男性は50代後半で会社の役職についていそうな白髪の小柄な人だった。背が丸まっており、厳つい表情とは裏腹に何処か卑屈な感じがした。女性は僕の想像よりかなり若い感じだった。OLといった感じだったが、やや地味なスーツからしてそれなりの立場にいる人なのかもしれない。20代後半か30代前半の比較的かわいい感じの顔をした人だった。体は大きく体育会系という感じがした。早足で逃げようとする矮小な男性の背中に向っていろいろな言葉を投げつけていた。

 僕には男性がそれほど酷いことをしたようには思えなかった。また女性が男性にそれほど失礼なことをしたとも思えなかった。ちょっとした偶然の行為がこのような寸劇の発端になったのだろう。どちらかが、相手の気持ちを思いやることができていたなら何ともないことだったはずだ。それが結局、どちらとも自分のことばかりで相手のことなど考えようともしなかったため、険悪な雰囲気になってしまったような気がした。

 このことに限らず、最近は何処でも一触即発といった雰囲気が漂っている。何でこんなに殺伐した社会になってしまったのだろうか?そういえばニュースでも何か温かくほっとするようなものがここのところほとんどといっていいほどなくなっているように思う。地球温暖化とは逆に日本の社会は急速に寒冷化している。(2004.2.6)




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