ファイト・クラブ

 昼休み、いつもは食事が終わった後、コーヒーでも飲みながら午後の始業時間に間に合うぎりぎりまで本を読んでいることが多いのだけど、久し振りに街をぶらぶらと歩きたくなり、外にでた。駅前のベンチにはホームレスの人が数人腰掛けていたりする。しかし、寒さのためかこの日はその人数が少なくなっていた。

 もうちょっと暖かい時期にパンを買いそのベンチで食べていたら、その中のひとりの人に話し掛けられたことがあった。その人は60代半ばくらいの男性でかつては何か手に職を持っていて世の中を渡ってきたような風貌の人だった。

「あんちゃん、仕事は?」
と不意に声をかけられてちょっと驚いたけど、できるだけ自然に
「今、昼休み」と応えた。
「昼休み?」
「そう、昼休み」
「あんちゃん、会社員だろ?そんな格好してダメじゃないか」
僕は会社員時代でもスーツなどほとんど着たことはなかったけど、当然この日もいつものように長袖のTシャツにジーンズという服装だった。
「いや、アルバイトです」
「アルバイト?時給1000円くらいか?」
「うん、そんなもんです」
「それで8時間くらい働くのか?」

 どうもこの冴えない男が1日いくら稼ぐのか気になるようなのだ。たぶん、この人も昔は日給いくらで働いていたことがあるのだろう。そしてたぶん僕なんかよりもよっぽどの高給をとっていたように思う。いい加減に答えるのは悪い気がしたので

「その日によって違うけど、最低8時間くらいかな」
と答えると、にっこりと笑って
「そうかい、がんばりなよ」
と仲間の方に歩いて行った。その人にはその後もう一度話しかけられたことがあった。僕のことを覚えていたようで、
「あんちゃん、もうちょっとましな格好しなよ」
と自分のことは棚に上げ、説教されてしまった。自分では気づかなかったけど、服装というよりも全体的にそういうみすぼらしい雰囲気があるのかもしれない。

この日はその人もいなくて、地上は寒いので地下街をぶらぶらとした。

 地下街に下りるとすぐにある広場でCDやビデオが所狭しと並べられていた。どうもいくつかの店が集り中古のCDやビデオの安売りをやっているようだった。最近ではビデオテープはDVDにとって代わられつつあるので、その売れ残った映画やドラマなどを処分するためにこの場所に出店したようだった。高い物でも1500円くらいだ。中にはレンタルに使っていたビデオの在庫をお金に換えたいレンタルビデオ屋などもありそういった商品は300円で売られていた。

 それを見たときひょっとしたら…という気持ちになった。僕にはぜひもう一度じっくりと見たい映画があった。‘ファイト・クラブ’というデヴィッド・フィンチャー監督でエドワード・ノートン、ブラッド・ピットが出演した映画だ。

 一度、地上波で放送されたのだけど、あまりの面白さにビデオに撮らなかったことを後悔した作品だった。エドワード・ノートン演じる若いエリート会社員ジャックは物に囲まれた豊かな生活をしているが、心に空虚さを常に感じており、不幸な人間が集う会などに出てその穴を埋めようとしている。そんな時、飛行機の中でブラッド・ピット演じる不思議な男テイラーに出会う。その夜、住んでいるマンションに帰ると何者かに部屋が爆破されており、テイラーといっしょに暮すようになる。テイラーは廃墟同然の家に暮しており、物から開放された生活が始まる。

 そんな中ふたりはふとしたことから喧嘩の魅力にとりつかれて行き、路上で殴り合いを繰り返す。ふたりの周りには社会の底辺で働く人々が徐々に集りだし、やがて1対1で殴りあう‘ファイト・クラブ’が結成される。やがて‘ファイト・クラブ’はただ単なる喧嘩クラブから物質社会を破壊する秘密組織へと変貌していく。そしてジャックとテイラーには驚いてしまう秘密が隠されている。ラストでの心理的などんでん返しは‘ジェイコブス・ラダー’や近いところでは‘シックス・センス’などがあったけどそれに匹敵する衝撃があった。

 僕は前にもこの映画のビデオがほしくなり、近くのCD屋さんにいったのだけど、もうビデオというものは売られておらず、全てDVDに代わっていた。だから、この映画を家で見ようと思ったらDVDプレーヤーを買うか、もう一度地上波で放送されるのを待つしかないと思っていた。それが、すぐにでも見られるかもしれないのだ。これが興奮せずにいられるだろうか?しかし、昼休みの時間はあまりに短く、僕は会社が終わってからゆっくりと探すことした。

 仕事が終わり、大股で駅をめざして歩き、6時半過ぎくらいに地下街に着いた。大量処分市らしく、多くの人でごった返していた。その中でも人気が集っていたのはやはり洋画のコーナーだった。人の壁が棚の前にできていたが、臆しているわけにもいかない。その中にやや強引に割って入った。

 数々の名画や話題になった作品タイトルが並んでいた。それらをひとつひとつ丹念に見ていった。よく歌により記憶のタイムトリップが起き、その時代を思い出すということがあるが、それは映画にもいえる。

‘フルメタル・ジャケット’…スタンリー・キューブリックが撮ったこのベトナム戦争を題材にした映画を見たのはまだ20代になったばかりの頃だったと思う。確か、群馬から上京してきた従兄弟といっしょに2日で3本の映画を見た。その中のひとつだった。

‘ポンヌフの恋人’…見たいと思っていたが、笠智衆のファンでヴィム・ヴェンダースが監督した‘夢の涯てまでも’まで見たという友人が酷評していたのでつい足が遠のいてしまい見逃してしまった。

‘髪結いの亭主’…当時付合っていた女性とふたりで観たっけ…。観終わった後、お酒を飲みながらこの映画で描かれた恋愛について語り合ったなんていうこともあった。それから数年経って同じパトリス・ルコントがメガホンをとった‘仕立て屋の恋’は別の女性を誘ったのだけど、二股をかけていることがばれて断られてしまったなんていうこともあった。

‘クイズ・ショウ’…会社に行く気がせず、さぼって朝一番の回を観た。いろいろな種類の人が来ていて、朝の映画館の実態が面白かった。ロバート・レッドフォードが監督した地味な作品だったけど、僕好みだった。

‘アメリカン・ビューティ’…あまりに面白くて3回も映画館に足を運んでしまった。主人公が広告業界のビジネスマンからファーストフードの店員に転職してしまう気持ちが何となくわかり、ひょっとしたら今の僕の暮しに影響を与えた作品かもしれない。

と懐かしい作品は次々と見つかるのだけど肝心な‘ファイト・クラブ’が見つからないのだ。いくら探してもない。‘クイズ・ショウ’でお茶を濁そうかとも思ったけど、ほしいのは‘ファイト・クラブ’だ。いくつか観たい作品はあったけど、結局何も買わずに家路に着いた。

 もし‘ファイト・クラブ’があったら恐らく‘クイズ・ショウ’も買っていたと思う。だけど、その肝心なものが見つからなかったため、何も買う気持ちが起きなかったのだろう。人生の他のいろいろな場面でも同じようなことがあるような気がした。(2004.1.24)




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