自分にできること

 心身ともに調子が悪かった先週…。6連休後の火曜日、仕事に行けなければ、もう今の会社に永久にいけないような気がしていた。ゆっくりと休養したのがよかったのか、それともいっしょに入ったバイト仲間の最終日だったからか、あまり会社にいきたくないという気持ちは起きなかった。しかし、‘あまり’ということは‘全く’そういう気が起きなかったということでもなく、‘多少’はそういう気が起きていた。特に家を出て最寄りの私鉄に駅に着くまで、逃げ出したいような気持ちが数回起きた。だけど、何とか出社できた。

 会社に着いてしまえば後は何とかなる。仕事中も先週感じたような虚しさに包まれるということもなく、作業を淡々とこなすことができた。だけど、この日はいっしょに入ったアルバイト2人の最終日だったので、夕方になると寂しい気持ちが強くなったが、3連休明けで仕事が忙しかったため気分は多少紛れた。

 翌日から、昼休みはひとりでの食事となった。昼食は前に書いたこともあると思うけど駅構内にあるファーストフードの集合体のような場所でとることが多い。いろいろな店があり客席はその各店舗に囲まれた中央のスペースにゆったりとあり、のんびりと長い時間いることもできる。

 今まではいっしょに入ったバイト仲間と食事の後は午後の勤務時間にぎりぎり間に合うまでしゃっべっていたが、その日はひとりで食後のコーヒーを買って家から持って来た文庫本を読んでいた。講談社から発刊されている向田邦子さんのエッセイ集「夜中の薔薇」という本だ。

 この本の後半に「時計なんか怖くない」というエッセイがある。この中に
‘私はどちらかというと負け犬が好きです。人も犬も、一度くらい相手に食いつかれ、負けたことのある方が、思いやりがあって好きです。’
と書かれた箇所があり、思わず涙ぐみそうになったが数日前に見たあるTVの光景が頭に浮かんだ。

 それは最北端のホームレスを取材した特集で北海道の旭川で暮す彼らを追ったものだった。北海道旭川といえば今の時期、氷雪に覆われており夜間の気温は氷点下10℃は当たり前、さらに氷点下20℃に下がることもあるという。そんな中でビニールシートを幾重にも張り、拾ってきたストーブで暖をとり、ふとん数枚を重ねて越冬しているホームレスの姿があったが、中にはそういった「家」を持たず放浪している人もいるらしい。そしてひとりのホームレスがホテルの構内に入りこみ寝ているのをフロント係の男性がその襟首を掴み外に引きずり出そうとしている姿が映し出されていた。

 そのあまりに酷い行為に悲しい気持ちになったが、もしこのフロント係の男性がホームレスを経験していたら、いや経験していなくても多少でもその辛さを想像することができたなら対応はずいぶんとちがったものになったのではないだろうか?

 確かにホテル側にとっては建物に入り込み出入り口附近で寝込んでいるホームレスは迷惑な存在ではあると思う。通常では何処のホテルでも叩き出すだろう。だけど、極寒の旭川でいくら迷惑だといってもホームレスを外に叩き出したら、どうなるのか…。最悪の場合は凍死してしまう。そう考えれば出入り口附近で眠らせることと叩き出すことの間に解決策はいくつもあるように思われる。

 ホテルのフロント係がホテルの出入り口附近に寝ている目障りなホームレスを外に叩き出すという行為は間違っていないかもしれないが、人間が人間に対する行為と考えるとあまりにも非人間的な行為に思える。そう、僕達はホテルのフロント係である前に人間であり、ホームレスである前に人間なのだ。それがいつしか人間であることを忘れてただ単なるホテルのフロント係になってしまっている。

 「人も犬も、一度くらい相手に食いつかれ、負けたことのある方が、思いやりがある」というのは確かにその通りだと思う。辛い体験や哀しい体験をしたらそれを物差しとして他人の辛さや哀しさを推し量りやさしく包み込めるようになりたい。そんなことを思った。

 金曜日の昼休み、いつもの場所で昼食をとっていたら、明らかにホームレスという感じの人がはいってきた。髪はだらしなく伸び、着ているものもボロボロだった。どうなるのだろう…入場を断られるのではと思っていたら、フロア係の女性がやっと歩いているその人に寄り添い、手を取ってあげて奥の席まで案内し、ゆっくりと座らせてあげた。
 その人は席に深々と腰掛け何を注文するでもなく、自分で持ちこんだわずかな食料を静かに食べていた。久し振りに見る暖かい光景だった。(2004.1.17)




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