忘年会 Part2

金曜日は職場の忘年会でした。でも、僕は参加しませんでした。

 今、アルバイトしている会社の忘年会はちょっと変わっていて、会社命令に近いかたちで行われのです。各部署合同の朝礼で今年の忘年会は各職場ごとに小人数で行なうようにとの通達がありました。以前から働いている古参のアルバイトに話しを訊くと昨年は会社全体で行なったということでした。今までの会社でも忘年会というものは必ずといっていいほどありましたが、会社のトップに近いところから‘こういうかたちで忘年会を行なうように’という指示があったのは始めてで、不思議に思いました。

 僕の働いている部署は社員4人、アルバイト8人ですが、当初、アルバイトは全員不参加ということになってしまい、社員でも参加をしぶる人も出て、総務部の担当者が心配して他に参加者が少ない部署と合同でなんていう話しもありました。

 さすがに僕の部署のリーダーは焦ったようで必死の説得工作が行われ、何とか社員全員と僕の他は唯一の男性アルバイトが参加することになったようです。僕もかなり熱心に参加を頼まれたのですが、何とかのらりくらりと逃げとおしました。

 しかし、始めは参加してもいいかなという気持ちもあったのです。会社からの指示で行なわれるため、経費のほとんどは会社持ちで参加費は1000円の負担でいいというのにちょっと心が動きましたし、社員の人達ともだいぶ打ち解けてきたので、それほどつまらなくもないかなという気もしていました。だけど、結局僕は参加しませんでした。

 それは‘北の国から’の再放送が観たかったという理由もありますけど、小さな妥協でもしてしまうと、それが何故かずっとそれが続いてしまうような気がして、イヤなことでも妥協に妥協を重ねて、適当に自分を合理化していって、いつしか自分がなくなってしまうような感じがしたからです。

 たかが忘年会です。そんなに真剣に考える必要もないでしょう。だけど、何故か僕はそんな感覚に囚われてしまい、「参加します」と口から半分くらい出掛かっている言葉を飲み込んでしまったのです。今までもずっとそうだったような気がします。

 先のことを考えたら妥協しておいた方がいいのに、自分でもわかっているのに、そうする方が利口だとわかっているのに… 結局、妥協できずに孤立の道を歩きだしてしまうのです。

 もちろん、絶対に譲ることができない場合もあります。また、譲った方がいいこともあります。その重心を探し、両者の均衡をとれることが成熟した人間というものなのでしょう。両極端を選ぶのは比較的簡単なのです。しかし、中庸を見つけ出すのは以外と難しいように思います。

そこそこに生きるというのは簡単そうに見えて、実は困難なことなのかもしれません。(2003.12.20)




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