人生の季節


 アルバイトを始めて1週間が過ぎました。当初の想像よりはるかに体を使う仕事だったのですが、無職期間中、散歩・サイクリング三昧だったのが幸いしたようで、体は何とか持ちました。1週間持てば、そのうち体もだんだんと慣れ、要領もわかってくると思うので体力的なことが原因で続けることができなくなるということはないと思います。以前に長野で農家のアルバイトをした時も始めの1週間はつらかったのですが、慣れてきたら楽しくなりました。体力的にきつい仕事でも楽しくなる…それは精神的なストレスがほとんどなかったことが大きかったように思うのです。そう、問題は精神的なストレスなのです。

 今、アルバイトをしている会社の社員を見ていると、自分の会社員時代を思い出し、辛くなります。当時は常に精神に圧迫を受けて、ストレスに曝されていたような気がします。何かに追われ、何かから逃げ…そんな毎日でした。そんな僕と彼らの姿は重なって見えるのです。

 彼らはその日の仕事が終わるまでは帰れないし、休みを取ることもなかなか難しいようです。仕事が忙しくなれば、休日でも出勤しなくてはなりません。毎日、相当な精神的ストレスに曝されているようです。アルバイトとは責任の重さが違います。しかし、それによって彼らの身分はある程度、保証されています。

 会社に忠実であることにより、簡単にクビにはならず、自分から辞めない限りは定年まで働くことができます。(リストラ流行りの世の中ですから、そうも言っていられませんけどね…)それにくらべアルバイトはいつクビになるかわからず、年をとり働きが悪くなれば追い出される可能性が高いでしょう。常に失業と隣り合わせであり、まして老後の生活など想像もつきません。しかし、それによって精神的な自由を得ているのです。

 僕らアルバイトは好きな時に帰れ、好きな日に休みをとることができます。僕はお金がほしいため最後近くまでいますが、仕事が残っていても時間がくれば、すぱっと帰ることもできます。自分の都合で、自分のためだけに働くことができるのです。

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以前、会社を辞めてバイクで旅に出たとき、たまたまある会社の社長さんと相部屋になったことがあります。その社長さんが言うには人生は季節に喩えられるそうです。そう四季、4つの季節があるということでした。

 青春…、これはみんな知っていますね、そして朱夏、白秋、黒冬と続きます。この中で何故か青春だけが頻繁に使われています。青春が人生において好きなことができる唯一の時間のように教えられ、それの終わりが自分というものの終わりのように僕らは思い込んでしまっているように思うのです。

 しかし、‘あおい春’の次には‘あかい夏’が来るのです。人生の中でもっとも活動的になれる時期、それが朱夏だと思うのです。そして、いろいろな物事が見えるようになり落ち着いた時である‘しろい秋’の季節に入り、そして一般的に老後と言われる‘くろい冬’を向えるのです。

 そう考えると会社員とはこの自然な人生の季節の摂理を無視した存在のように思われます。青春の後、朱夏と白秋の季節を潰してひたすら黒冬の時期のために働いているのです。そして、60を過ぎ、定年を向かえたあと失ってしまった朱夏と白秋の季節を取り戻そうとするのです。しかし、30代や40代での感性や体力までも取り戻すことはできません。30代では30代でしか、60代では60代でしか、感じたり経験できないことがあるはずです。

 豊かな‘くろい冬’を向えるため、‘あかい夏’の季節も‘しろい秋’の季節も犠牲にして働く…それが会社員の姿のように思えるのです。ただ、それを完全に否定できない自分がいることは確かです。‘あかい夏’を謳歌するためには自由な身分のアルバイトの方いいでしょう。しかし、それがその後どういう経路を辿ることになるのか…それはわかりません。そう、全くわからないのです。

 しかし、とまた思うのです。わかっている人生など、どれくらいの価値があるのだろうか、いやそもそも不安のない人生を送っている人など誰もいないのではないだろうかと。価値観とは他人から与えられるものでも、押しつけられるものでもありません。自分で創り出すものだと思うのです。僕は弱い人間です。だから、世間の常識とか周りの圧力に常に流されそうになっています。そしてそれはこれからもずっと続くように思います。

すべてはわかりません。今はただ、自分の脚でしっかりと立つことだけを考えています。(2003.9.20)




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