別の風景


 雇用保険もついに支給日数が終わってしまったため、最近は職安に足繁く通っているのだが、今週からその道順を変えることにした。というのも先週の土曜日に久しぶりに床屋に行ったところ、平日に僕が自転車に乗っているのを見かけたらしく、しつこくそのわけを訊かれてしまったからだ。

 この床屋にはもうかなり長い年月通っているため、いろいろと僕の私生活にかんすることまで訊いてくる。夏は北海道に旅行に行くことが多いのだが、今年は行かないだろうというとその理由もかなりしつこく訊かれてしまった。

 勤め先に関しても僕は未だに21で始めて就職した府中にある会社に勤めていることになっている。その後何回か転職し、長野の農家に住み込みで仕事をしていた時期もあるのだが、そういったことも話したことはない。別に会社を辞めることは恥ずかしいことではないと僕は思っているのだが、この床屋に話すと過剰反応しそうでイヤなのだ。前にボーナスがあまり出なかったと話したところ、必要以上に深刻に同情をしめし、何だかとても重い気分になってしまった。そんなに大したことがないと思っていることを、深刻に受け止められるとこっちまで気分が重く沈んできてしまいイヤなのだ。

 実は職安までの道順にこの床屋がある。たまたま平日、店の前を自転車で走っている僕らしい人間を見て疑問に思ったらしい。まあ、適当なことをいって誤魔化したけど、これが何回も重なると追求がさらに厳しくなりそうなので、この床屋の前の道を避けることにした。さらにこの通りには懇意にしてもらっているバイク屋もあるので、そこでも僕の目撃情報が続くと痛くもない腹を探られる可能性がある。

 今までは家を出ると大通りに出てその道を真っ直ぐにしばらく走っていた。大通りに出るとすぐに床屋がある。しばらく走ると自転車屋がある。20代前半の頃、自転車でよく旅行に行っていたが、この自転車屋にはその頃結構お世話になったのだが、最近はとんとご無沙汰してしまっている。その頃とは店員さんも変わり、今はたぶん当時の人はいないだろう。自転車屋を過ぎて1本道路を渡るとバイク屋があり、しばらく走ると大通りの旧道があるのでそっちに逃げる。旧道にはS大学の正門があり、さらに真っ直ぐに行くと別の大通りにでる。

 僕は床屋とバイク屋のある大通りを避け、裏の路地を通って職安に通うことにした。ただ、裏の路地を使うとなると狭い道をクネクネと曲がっていかないといけなくなり、道に迷うこともある。ただ方向さえ間違わなければいつかは知っている大通りとか線路に出るので何とかなる。

 大通りを避け、路地に入ってしまうと、都会の喧騒がなくなり、まるで何処か遠い街を旅している気分になる。木々の枝が覆い被さっているブロック塀の上でネコがうたた寝をしていたり、小さな町工場のおやじさんがぼんやりタバコを蒸かしていたり、タンクトップを着たお母さんが豊満な胸を揺らしながら両手に子供を引いていたりする。

 ちょっと走るとS大学の裏手にでる。表門は開放的な雰囲気だけど、裏は高いコンクリートでできた壁に覆われていて、周囲を拒絶している。この壁沿いの路地を行くと、道路にぶつかり、それを突っ切って、ちょっと左に曲がるとまた路地があるのでそこに入ってしばらくいくとお寺さんの裏手にある墓地に出る。

 この墓地もコンクリートの壁で周囲と仕切られているのだが、こっちはかなり古く所々崩れかかっていて、苔生せている。壁越しに、墓石や卒塔婆などが立ち並んでいて、荒涼とした別の空間が広がっている。この墓地は高台にあるため、墓地の荒涼とした空間の向こうにはまたマンションだとかビルが蜃気楼にように建ち並んでいるのが見える。僕は何故かこの景色が好きで、いつもここでは走る速度を落して、この不思議な風景を愉しんでいる。

 ちょっと奥に入っただけで今までとは別の風景が見えて来たりする。これはいろいろなことにいえることかもしれない。(2003.8.6)




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