一宮から来た桃売り屋さん


 今日は1日いい天気だった。夕方から最近よく行くH八幡宮まで桜並木の道を散歩した。蒸し暑く、ほとんど風がないため、ちょっと歩いただけで汗がじわっと出て来る。それでも桜並木の木陰に入ると、多少涼しさを感じることができた。ベンチに座ってタバコをふかしている人や本を読んでいる人もいて、いつきてもこの辺りはのんびりとしている。

 H八幡宮の鳥居をくぐり、砂利の参道に入ると周囲は鬱蒼とした木々に囲まれて日中でも薄暗い。老人が2〜3人お参りに来ていて、手水で手を洗っていた。見ていてあまりに気持ち良さそうだったので、僕も手水で手というよりは腕を洗い、さらに口を濯いだり、サンダル履きの足にかけたりした。ほんとは顔も洗いたいところだけど、この水中に直接手を入れることは禁止されているので、それは我慢した。

 階段を上り、神社に参拝した後、裏に抜ける道を通って杜の外に出た。裏に抜ける道の横にはブランコやすべり台など子供用の遊具があって、いつも子供が遊んでいる。うちの近くはあまり広場などがないので、この神社は恰好な遊び場だ。よく、縄跳びをしている姿なども見かける。

 遠野物語には子供が神社の木像を引きずり回したり川に投げ込んだりして遊んでいるのを大人が見かけて叱るが、その叱った大人が祟りを受けて病気になってしまったと記述されているところがある。神社の木像が子供と遊ぶのを好んでいるため、それを妨げる大人に怒るそうだ。子供がこの神社で遊んでいるのをみると、そんなことを思い出してしまった。

 神社を出ても塀つたいに歩いていれば木々が陽を遮ってくれるので多少は涼しい。しかし、神社を過ぎてしまうと夕方とはいえ7月の強い日差しが落ちて来る。すると、住宅街に1台の軽トラが止まっていて、さかんにアナウンスをしていた。

 「山梨の一宮でとれたあま〜い、おいしい桃だよ。この高級な桃が何と5コで600円という破格の値段!食べておいしかったら、お買い求めください。ご近所お誘いのうえ、どうぞ。この車はこの角でしばらく停車しています」というようなものだった。

 アナウンスはあらかじめ女性の声で録音したもので、実際に車を運転していたのは中年の男性だった。しかし、4時ちょっと過ぎをいう時間帯も悪いのだろう、住宅街にはほとんど誰もいない。その中で女性のアナウンスだけが元気に響いていた。

 もしこの軽トラがアナウンスの通り山梨の一宮から桃を売りに来たのなら、高速代にガソリン代などかなりの数の桃を売らないと元を取れなくなるのではないだろうかと心配になった。ちらちらと後を見ながら歩いていたが、やはりほとんど人通りはない。

 主婦は夕方の買い物に出掛けてしまった時間帯だし、もし在宅率の高い2時くらいだったらどうだっただろうと考えてみたが、それでも苦戦しそうな気がする。桃がもし、貴重品でなかなか手に入らない物だったら、格安の値段で提供すれば飛ぶように売れるだろうが、スーパーに行けば物は溢れている。そう、桃に限らず物の流通が昔に比べれば飛躍的によくなってしまったため、産地直送とかの有り難味がかなり薄れてしまっているんじゃないだろうか?

 各種栽培の近代化によって食べ物の季節感がなくなってしまったのと同じで、流通の発達で産地の希少性もなくなってしまったような気がする。北海道の釧路を旅した時においしい寿司を食べようと思ってある寿司屋に入ったら、ほんとにおいしい寿司を食べたかったら東京が一番だよと言われたことがあった。いい魚は東京に行ってしまうらしい。

この山梨の一宮から来た桃売り屋さんがみんなから喜ばれるような社会だったらいいのに…。(2003.7.12)




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