無言の時代


 午前中、久しぶりに職安に行った。雇用保険受給資格者証の裏に押されたハンコの日付を見ると約1ヶ月ぶりで6月は全く閲覧をしていないことに気づいた。失業保険の受給も、もうあまり日数は残っていないし、そろそろ真面目に考えないといけない。

 だけど、自分は追い詰められないとだめな性分でこの怠け癖はなかなか治らない。あ〜、ほんとにこれからどうなるんだろうと人事のように自分を見ていたりする。こういうことを繰り返していると人格が分裂してしまったりするのだろうか?知らない間に自分の中にもうひとりの自分がいたりして…。

 いくつか自分にできそうな仕事はあったけど、‘これだ!’というのはなかった。追い詰められるまでその‘これだ!’を辛抱強く待つことにするか…。もう、どうなってもいいやという投げやりな気持ちも約50%。

 午後、家に帰って来てからは窓辺で本を読んでいた。梅雨の合間で大変蒸し暑いので、窓をほとんど全開にしていたら、心地いい風が入って来て、本を読んだり、ウトウトしたりを繰り返してしまった。

 だんだんとウトウトの時間が長くなりかけた頃、車のクラクションが窓際の路地で響いた。部屋のベランダにブロック塀1つ隔てた路地は車が1台通れる幅しかないので、配達車などが止まっていると住人の車が通れないで、よくこういうことがある。そんなに気にはならず、また惰眠を貪ろうとするとさらにクラクションがなった。

 そして、それがだんだんと激しくなっていく。始めは1回鳴らして、また30秒後に1回という感じだったが、それが3回連続になり、5回連続になり、ヒステリックになっていった。そのうちドライバーらしい男性の怒鳴り声まで聞えてきた。

 僕に向かって怒鳴っているわけではないだろうが、さすがに緊張してきて眠気は覚めてしまい、何を叫んでいるのかに聞き耳を立てた。そうすると向かいの家の奥さんとお姑さんが出てきて3人で言い争いを始めた。どういうことなのか聞いていると何となく状況がわかった。それは単純なものだった。

 うちの向かいの家も車を持っている。たぶん買い物か何かから帰って来て、また出掛けるつもりだったらしく車をきちんと家の前のスペースに駐車しないで、路地に止めたままだったようなのだ。そこにたまたま車が通りかかり、通行できないのでクラクションを鳴らしたけど、なかなか出てこないのでイライラしてしまったようだ。

 聞こえて来る声によるとそのドライバーが子供に怒鳴ったらしく、そのことを前の家の奥さんは怒っていた。たぶん、クラクションを鳴らしたときにその音を聞いて、前の家の子供が窓から顔を出したのだろう。ドライバーはその子供に向かって「誰か家の者を呼んでこい」というようなことを怒鳴ったらしい。
「子供に怒鳴り声などあげないでください」
と奥さんはかなりきつい調子で抗議したが、そのドライバーは完全に切れているようで
「うるせー!」
と悪態をついていた。奥さんが車を動かし、そのドライバーはやっと立ち去ったが、最近こんなことがよくあるような気がする。何故、車の止め方がちょっと悪いくらいで、切れてしまうのだろう。子供を見かけたらやさしく「車が通れないから家の人呼んできて」といえばすむ話だ。

 ほんとに最近はみんな人と話すのが苦手になっているような気がする。何でも無言ですまし、言葉にするときはいきなり切れたりする。このイライラ感、閉塞感はどこから生まれてくるのだろう。あ〜、もっと穏やかな世界で暮らしたい…。(2003.7.4)




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