プラス・マイナス・ゼロ


 5月では38年振りに上陸した台風が過ぎ去った後でも東京はいまひとつすっきりとしない天気が続いたが、今日は久しぶりにまあまあ気持ちのいい日になったので午後から多摩川のサイクリングコースに行ってきた。平日でも思いついたらすぐに行動に移せるのは失業者の特権だ。

 会社を辞めてからサイクリングにはよく行くのだけど、この前行って帰ってきたら顔や手がかなり日焼けをして赤くなっていたのでびっくりした。まだまだ初夏なので陽はそんなに気にしていなかったけど、紫外線はこの時期もう真夏並みらしい。もう6月だし陽はさらに強くなっているだろうと思い、帽子をかぶっていくことにした。だけど、その帽子が何処に仕舞ったのかわからなくなってしまった。そういえばここ何年も見た記憶がない。ひょっとしたら大掃除の時に捨ててしまったのかもしれないし、探すといってもそんなことをしていたら、もう夕方になってしまいそうだ。しょうがないので、ちょっと恥ずかしい気がしたけど、阪神タイガースの一番派手だった頃の野球帽をかぶっていくことにした。

 今のタイガースの帽子は黒一色でそれに阪神タイガースのマークが入っているだけだけど、僕が持っているのは白地に黒で縦縞の入っているものだ。阪神が一番弱かった頃の帽子で、阪神戦を観に行く時は必ずかぶっていったが、それ以外の時にはかぶった記憶がなかった。それに街でもかぶっている人を見かけたことはない。

 鏡にうつしてみるとやっぱり何かおかしい。何が?といってもなかなか説明は難しいのだけど、何かおかしい。ツバを後に回してみると、ちょっとはよくなった。何となくサイクリング帽に見えないこともない。だけど乗っている自転車がもらい物のママチャリだから、サイクリング帽にママチャリというのもあまりにアンバランスのような気がする。だが、日射病になるよりはましだと思いかぶって行くことにした。
駐輪場から自転車を出すと早速野球帽をかぶって自転車に乗っているおじさんに出会ってしまった。おじさんの野球帽はネイビーブルーの何となく渋いものだった。それに比べて…。

 走り出してみると風が気持ちよかった。自転車で切る風はちょうどいいような気がする。バイクでよく風を感じるという表現が使われるけど、ほんとの風を感じたかったら自転車の方がすぐれていると思う。風の気持ち良さで帽子のことは全く気にならなくなってしまった。

 家から多摩川のサイクリングコースは5〜6kmくらい。大通りを走って行った方が近いけど、空気が悪いし、走っていてもあまり楽しくないので、だいたい住宅街を縫うように走る。田園調布には3段になったきつい坂道があるのだが、行きはここが下りになるため気持ちがいい。そういえば行きは下りが多い。ということは帰りは上りが多くなる。

 平日でもサイクリングコースには結構いろいろな人が来ている。橋の近くのコンクリートで固めた土手には若い人が多く、本を読んでいたり、楽器の練習をしていたりする。釣りに来ている人も多く、川辺には自転車や原付が並んでいて、のんびりと釣り糸を垂れている。この時期になると持ちこんだアームチャアやベンチに寝そべってスイミングパンツ1つになって体を焼いている人も多くなる。散歩している人はやはりお年寄りが多く、夫婦で仲良く歩いている姿もよく見かける。

 サイクリングコースの所々にあるベンチではお年寄りに混じって猫がその下で休んでいたりして、牧歌的雰囲気がある。あと、犬を散歩させている若い女性も多い。平日は人も少ないから、広い河原の芝生の公園で思い切り遊ばせることができる。数は少ないけど家族連れで来ている若いファミリーもある。お父さんの仕事の都合で平日が休みなのだろう、まだ小さい子供ふたりと4人で楽しそうにキャッチボールをしていた家族があった。。お母さんはあまりうまくなく、ボールをいつもこぼしてしまい、みんなに笑われている。

 土手沿いにはいくつかの学校があるので、土手でランニングをしている子供達に出くわすことも多い。大人でもジョギングをしていたり、本格的なサイクリング車に乗って、わき目も振らず必死にペダルをこいでいる人もいる。

 ただ、警官がよくいるのはちょっといやだ。冬に何回か来た時は職務質問を数回された。平日にまともな人だったら学校か会社に行っているという頭があるのだろう。職業を訊かれ無職というとさらに疑念が深まるかもしれないと思い、在宅でちょっととかいって誤魔化すことにしていた。それでも1回だけ、紺のウィンドブレーカを着たひったくりが出たとかでしつこく訊かれたことがあった。その時、僕はマリナーズの紺のウィンドブレーカを着ていた。だけど、ボロボロで大したスピードもでないママチャリでひったくりなんてできるものではないことくらいわからないのかと思い、だんだんと腹が立ってきて、啖呵をきりそうになったが何とか我慢した。

 そういうこともたまにあるが、風を陽の気持ち良さは何物にも変え難い気がする。風をうけ、陽を浴びながらのんびり走っているとほんとに極楽気分になってしまう。陽を受けてキラキラをモザイク模様にひかる川面も美しい。

 サイクングコースも半分を過ぎ、京浜東北線の高架があるところまで来ると、この橋桁の下はホームレスの人達のテントが建ち並んでいる。大半の小屋は青いビニールシートと廃材を組み合わせて作っているが、中にはキャンプ用のテントも見かける。雨が降って川が増水するとたぶん水に覆われてしまう場所だけど、そんな時はどうしているのだろうと心配になる。たまにみんなで集って酒盛りをしているけど、そんな時はいい仕事にありつけたときなのかもしれない。ホームレスといえばサイクングコースの終点にも集落になっているような場所がある。そこはほんとに共同体といった雰囲気があるが、川にさらに近いため、ちょっとの雨でも水浸しになってしまうのではないだろうか。台風でもきたら小屋ごと流されてしまいそうだけど、何か生活者の知恵があるのかもしれない。

 この辺りは海が近いため、潮の香りがかすかに漂っている。コンクリートで固められた堤防の上に座ってしばらくその香りを嗅ぎながら、しばらく休む。行きもそうだけど、帰りも風の向きによって楽になったり辛くなったりする。ただ、所々で風向きは変わるのでずっと向かい風ということもないし、ずっと追い風ということもない。ああ、だけどサイクリングコースを出ると、あの田園調布の三段坂があったり、上り坂が多くなる。そう、道は必ず下れば上りがあり、上れば下りがある。どちらも数は同じだ。プラス-マイナス-ゼロ、何となく人生に似ているような気がした。(2003.6.5)




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