長者丸踏切


 日曜日のお昼少し前、渋谷で山手線を降り、明治通り沿いにあるWINS(場外馬券場)に行った。無論、馬券を買うためだ。金曜日は友人達と飲みに行ってしまったが、今の僕の惨状?を知ってか、お好み焼きを奢ってくれた。勝負金は十分だ。さいわいにして雨は降っておらず、まあまあいい天気。これだったら、予想を変える必要もないなと思い、WINSに向かう足取りも軽かった。

 渋谷駅からはいつも通り、WINSに向かう人の波が続いている。競馬場はファミリーな雰囲気で結構ほのぼのとしているが、WINSは本当に博打場といった感じで、ギャンブルに徹するにはいいかもしれない。来ている人も競馬場では子供連れの人も多いが、WINSでは少数派で、だいたいがいわゆる‘おやじ’という感じの人々だ。若い女性もいるが、頭の切れそうなそれこそPCを使ってデータを分析していそうな感じで知的な雰囲気を持った人が多いような気がする。これが中年になるとひとくせありそうな感じに変わってくる。

 WINSの自動券売機にいくつのも赤い丸を塗ってあるマークシートを入れ、馬券を買った。WINSの外に出ると店で焼き鳥などを食べながらビールやサワーを飲んで気持ち良さそうにしているおじさんがいっぱいいる。僕も懐に余裕があれば一杯やりながら、競馬を楽しみたいものだけど、一杯やってしまうともうそこからは勝負にならなくなってしまう。だから競馬場に行ってのんびりとしたいとき以外は競馬をやりながら一杯ということはない。

 以前はここから明治通りを恵比寿方面に向かって歩いて、恵比寿駅からJRに乗って帰宅していたけど、最近は電車賃を節約するため目黒駅まで歩いていくことが多い。交通量もそれほど多くなく、恵比寿から目黒にかけては静かな住宅街が続くので歩いていて気持ちがいい。

 明治通り沿いにはいつくもの食事処や洒落たカフェがある。その通りを途中で右折するとどぶ川があり、その上にかかっている短い橋を渡ると山手線の線路がある。その前の道を線路に沿って歩いて行くと恵比寿の駅に出る。ここからはその日の気分によって歩く道順は違ってくるが、今日は天気もまあまあだし、恵比寿ガーデンプレイスに向かって歩いた。

 恵比寿駅からガーデンプレイス前まではアーケードになっていて動く歩道があり、直通で行けるようになっている。ほとんどの人が動く歩道に乗っているのだが、またほとんどの人が動く歩道の上を歩いている。動く歩道の速さは人が実際に歩くスピードに比べるとちょっと遅いくらいだろうか。だから、ほとんどの人がその速度に我慢できず、歩いてしまうのかもしれない。

 アーケードを抜けると目の前に横断歩道があらわれ、それを渡ると恵比寿ガーデンプレイスだ。横断歩道を渡り、そのまま山手線に沿って歩いていくと、東京写真美術館に出る。写真美術館の横を通り過ぎると再び横断歩道があり、それを渡ると高層マンションがある。高層マンションには子供が遊べるような公園が併設されていてその公園からは線路を超えて反対側に渡れるように歩道橋が出ていて、よく小さな子供達がこの上で母親といっしょに電車が下を通り過ぎるのを待っていて、電車が通ると喜んでいる姿を見ることができる。そういえば昔、僕もよく母や祖父といっしょに家の近所にある踏切まで電車を見に行ったものだった。

 線路を超えた反対側には自動車教習場があり、車やバイクを練習している姿を見ることができる。僕も昔この教習場に通っていてのでその時の苦い想いが浮かんでくるけど、それは決して不快なものではなく、ある種の懐かしさを伴っている微笑ましいものだ。

 いつもはこの歩道橋を渡り、反対側に出て教習場のわきを歩いて目黒駅に向かうのだけど、この日はそのままガーデンプレイス側を歩いて駅に行こうと思った。何故、そういう気持ちになったのかというと電車に乗って渋谷に向かう途中、教習場の横に伊藤ハムの社屋があり、その横の線路沿いにある細い坂道を何故か歩いてみたくなってしまったのだ。

 公園からは急な下り坂になりその坂を下っていくと、細い路地が右側に現われる。この細い路地がその坂道に続いているはずだ。僕はその路地に入った。都内とは思えないほど静かなところだった。この路地を歩いて行くと石垣にぶつかりその上を山手線が走っている線路がある。山手線の高架のところで路地はその石垣に沿って左折している。石垣に沿って歩いて行くと、右折する道が現われる。ここを右折すると目的に坂道につながり、真っ直ぐ山手線に沿って歩くと坂になっていて今まで頭の上を走っていた山手線が今度は見下ろす位置になってしまう。

 僕は迷わず右折をした。するとそこには何ともいえない懐かしい風景があった。山手線の高架が上を走り、その先には埼京線の線路があった。車止めのくの字型になった黄色い柵が3本立っていた。時間が止まっていたような懐かしい踏切だった。山手線の高架の下に入るとそこは薄暗く、子供の時、よく見つけた秘密基地のようだった。バイクが1台ポツンと忘れ去られたように高架のコンクリートの壁に沿って置かれていて、辺りは静寂に包まれている。とても懐かしい匂いがする。僕はしばらくこの時間の流れに忘れ去られたような場所に佇んでいた。

 何という踏切なんだろうと思い、黄色を黒に塗り分けられた踏切の鉄柱を見ると長者丸踏切というプレートがついていた。長者丸…、馬券を買いに行って出会うのには何と縁起のよさそうな名前なのだろうか。これから渋谷WINSの帰りにはこの道を通ろうと踏切を渡り、坂道を上りながら僕は思った。(2003.5.31)


TOP INDEX BACK NEXT