シャボン玉

土曜日の午後、家の近くにある桜並木の道をのんびりと散歩していました。5月の心地いい風がやさしくそよいでいました。空にはやや薄雲がかかり、陽を和らげています。桜も短い花の季節は終わり、上を見上げると若葉で緑のトンネルができていました。その新緑の葉の隙間々から薄雲によって和らいだ陽が所々こぼれています。

桜の花の季節は道端で宴会する人や散歩する人で賑わうこの遊歩道もその時期を過ぎてしまうと静かになります。わたしはそんな雰囲気が好きなのです。海でも10月くらい人気のない方が心は落ち着きます。それ程、賑やかなのが苦手というわけでもないのですが…。

桜並木の遊歩道には所々にベンチがあり、その所々に老人や幼い子を連れた母親達が腰を下ろして5月の陽気を楽しんでいました。そよ風の柔らかい匂いに時折聞える小鳥の話声、そしてやわらかい木漏れ陽が人々にやさしい気持ちを運んできているようです。わたしもそれほどおいしくない、だけど気持ちいい空気を胸いっぱいに吸いました。

ふと、目の前をそのやさしい風に乗り、いくつもの透明な丸い物体が通り過ぎました。シャボン玉でした。そのシャボン玉は桜並木に面した立派な1戸建ての家から飛んできているようです。その家の駐車場で小さな女の子とそのおかあさんが2人で石鹸水にストローを入れて楽しそうに吹いていました。そのストローの先からはいくつものシャボン玉が陽の光を受けて、色を変えながら空中に放たれています。シャボン玉は次々と生み出されては、次々を消えていきます。わたしはその家の近くにある遊歩道のベンチに腰を下ろしました。歩いて軽い疲労をおぼえていたのと、咽が乾いたのと、シャボン玉がきれいだったからです。

シャボン玉は親子のストローから放たれると5月の優しい風に乗って拡散していきます。そして家の黒い鉄製の開閉式の門に当たってしまったり、低く垂れた桜の木の枝や葉にふれてしまったり、或いは遠くまで風に乗り、消えていきました。
そのうちまた次のシャボン玉が空気中を飛び、そして消えていきます。この繰り返しを見ているうちにわたしの頭はだんだんとからっぽになっていきました。そうなのです、わたしは何も考えず、ただ生まれては消えていくシャボン玉を見ていただけだったのです。

やがて飽きてしまったのか、それともシャボン玉を作る石鹸水がなくなってしまったのか、小さな女の子とおかあさんは笑いながら家の中に入っていきました。わたしは持ってきたバッグの中からミネラルウォーターが入ったペットボトルを取りだし一口飲みました。そして、バッグにそれを仕舞うとベンチから腰を上げ、また桜並木の遊歩道を歩き出しました。(2003.5.12)


TOP INDEX BACK NEXT