体調不良で休んだ翌日、僕は何とか出勤した。しかし、心身の状態は悪く、朝から気分が塞いでいた。しかも、その日は忙しく、遅くまで残業となってしまった。夕方便で入った今日中という仕事をしていたとき、僕の集中力は途切れていた。それほど、難しい仕事ではなかったが、やっても、やっても完成しなかった。仕事は落ち着き、Jさんも手が空いていたので、僕はJさんに「帰りたい」と言った。
「帰りたいなら、自分の仕事をやってからにしてください」とJさんが言った。しかし、体調の悪さはどうしようもない。いつまでやっても、終わらないような気がした。 しかし、毎日のように続く、緊張は僕をだめな方に、だめな方にへと押し流していった。そして、4月下旬、僕の体調はまた悪くなった。自分でも欠勤癖がついてしまったなと思った。会社の方も、そんな僕の状態を見透かしているような気がした。4月21日、体調が悪いといって僕は会社を休んだ。そして、翌日も僕は体調が悪いといって会社を休んだ。今までは1日で、何とか行けるようになったのに、このときはだめだった。しかし、まだ、僕は会社を辞めるつもりはなかった。あの、失業時の辛さを考えたら、折角見つけた仕事場をそう簡単に放棄できないという気持ちが強かったのだ。
そして、4月23日、朝、会社に電話した。社長が出たので、 昼食もとれず、午後になった。僕の心は、もう会社には行けないのではないかという気持ちが強くなっていった。どうがんばっても、あの会社で元気に働いている自分の姿が想像できなかった。毎日のように言われる嫌味、拒否できない残業、許されない有給休暇、興味の持てない仕事、そして冷たい社長の視線…その全てがひとつの結論を示していた。
仕事が一段落する午後3時頃、会社に電話を入れると奥さんがでた。奥さんは3時にはいつもお茶を入れてくれたり、お菓子を出してくれたり、いろいろな話しをしてくれたりして、悪い思いはなかった。
「あー、もし、もし、どうした」と社長が出た。
その後、健康保険証の返却、4月分の給与、退職証明書、離職票などの受け渡しが残った。N製作所は今時珍しい、給与手渡しだったのである。また、前の会社の分が残っている失業手当の再支給の申請もしておきたい。2日後、そのことを会社に電話した。失業手当の申請だけでもしておきたいから、退職証明書を郵送してくれないかということと、4月分の給与は銀行に振り込んでほしいと言った。すると社長は 会社を辞めた後、僕は開放感を体いっぱいに感じた。辞めて正解だったなと思った。先はどうなるかわかわない。だけど、前の時感じた焦りや不安はあまりなかった。何とかなるさ、今はゆっくり休もうと思った。 そして、このHPの製作を始めたのである。 |