募る閉塞感


 働き初めて2ヶ月が過ぎたとき、社長から正式に正社員として採用すると言われた。これまでは試用期間ということだったのだ。それは、特に改まった場に呼び出されて言われたわけでなく、CADの仕事をしているとき、
「今日から正式に正社員として、勤めてもらうことになるけど、いいね」と耳元で言われたのだ。
「は、はい…」と僕は言った。しかし、このときもし別の場所で、こう訊かれたら返事は違っていたかもしれない。僕は、このときこの会社でずっと働いていく自信がなかったのである。

 この会社に入社した直後、再就職手当の手続きを行なっていた。それが、3月末に支給されたのである。入社当時から、会社に対して僕は場違いな感覚があり、いつまでやっていけるのだろうと常に思っていた。そのひとつの区切りが再就職手当だった。せっかくそういう制度があるのだから、そのお金だけは手にしようと腹黒く思っていたのだ。その目的は達成した。その辺りからJさんの態度が軟化してきて、多少は働きやすくなり、僕は次の目標として夏までと思うようになっていた。

 とりあえず夏までがんばれば、北海道を1ヶ月くらいは放浪できるお金ができるのではないかと思った。夏までやってその時に、辞めて長期の北海道旅行をするか、まだ仕事を続けていくかを決めればいいと考えた。しかし、その夏まで、がんばれる自信が日に日になくなっていった。

 正社員になってからは、残業もみんなと同じようにさせられるようになった。日中どんなに暇であっても、夕方便が戻るまでは会社にいないといけなかった。どんなに早くても7時前に帰れるということはなく、夕方便で今日中という仕事がたくさん入ると、帰宅時間はゆうに12時を超えた。何時に帰れるのか、全くわからないため、平日の夜に友人と飲みに行くこともできなかったし、「今日、用事があるから定時であがります」などという人は誰もいなかった。

 Jさんの意向により、休日出勤はせず、金曜日のうちに土曜日納期の仕事までやることになっていたので、金曜の夕方便で大量の仕事が入ったときには、朝の7時まで仕事をしていたこともあった。このとき、通勤時間が長いSさんだけは、電車があるうちに上がってもいいと言われたのだけど、彼は当然のように「最後までやります」といい、結局電車もなくなり、仕事は3時過ぎに目途がついたのだが、朝までやることになってしまったのである。

 平日に友人と飲みに行くこともできず、休みに旅にも行けず、残業の毎日…。この会社にいれば、お金だけは貯まりそうだった。老後は安心かもしれない。だけど、それまでの約25年、何になるんだろう。これからの人生、老後の安定を得るためだけに、生きるのか、生きていけるのか。わからない、わからないけど、虚しすぎる。仕事に対しても、僕は興味が全く持てなかった。ただ、言われたことを、機械的にやっているだけ…。何もかもが虚しかった。そんな時、また体の調子がおかしくなった。

 社長が今年のゴールデンウィークは休みが少ないから、4日も休日にしようと思うと言った4月上旬、風邪のような症状で2回目の欠勤をした。この時は、そんなに酷くはなかったのだけど、会社に行けなかった。自分でも、こんなことで休んではいけないと思ったが、だめだった。翌日、何とか出勤できたが、明らかに心身の状態は悪かった。


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