見え始めた実態


 CAD及び業界に関する研修は約2週間続いた。そして、徐々に簡単な仕事を頼まれるようになった。僕とSさんの主な仕事は指示書の作成とCADのデータ入力、そして製品の配送及び仕事の受注だった。初めは僕とSさんが交互に配送の仕事をやっていたが、僕が「あまり車の運転は好きでない」と言ったことと、SさんのCADの覚えがあまりよくなかったことで僕がCADのデータ入力、Sさんが仕事の受注及び製品の配送と仕事が分かれていった。僕は車の運転は決して嫌いではなくむしろ好きな方だが、時間に追われて都内の狭い道を走るのは気が進まなかった。何気なしに言った言葉によって、社長が必要以上に気を使ったようだった。

 僕は家が会社に近いため、だいたいいつも一番早く出勤していた。社長の奥さんはそんな僕を真面目と勘違いしたようで、みんなが出勤してくるまでの間、いろいろなことを話し始めた。或いは面接の時、かなりの長時間話していたことで、話好きと思ったのかもしれない。ある日、
「教えてもらっている時とか、高圧的だったことなぁい?」と奥さんが訊いて来た。
「どういうことでしょうか?」僕は言っている意味がよくわからず、訊き返した。
「いや、うちの会社、新入社員が入ってくると威張る人がいるのよ」と奥さんが言った。
誰とは言わなかったが、僕は瞬間的にMさんのことを言っているのではないかとこの時は思った。

 得意先の場所を覚えるため、Mさんといっしょに配送に行ったことがある。このときMさんはさかんに滅私奉公的な働き方を僕に強要するようなことを言っていたのだ。
「配送の時、コンビニによってジュースとか買うのってどう思う」とMさんに訊かれたので、
「そのくらいはいいんじゃないですか?」というと
「いいわけないじゃん!」と強く否定された。Mさんが言うには、「社内にはいっぱい仕事が待っているのだから、配送に行かされた場合は1分1秒でも早く会社に戻らないといけない。だから、道だって最短で行けるところを通らないといけないし、途中たとえちょっとでも何処かに寄るなんてとんでもない」ということだった。そして、このような話しを延々とされたのである。

「もし、ちょっとでもイヤなことがあったら、社長でも私でも言ってちょうだい。何とかしますから」と奥さんは真面目な表情でいった。
「わかりました。そうします」と僕は答えた。
「そうしてちょうだい。それで、何人も辞めてるの…。前いたKちゃんだって、2ヶ月で辞めちゃって」
どうもこのKちゃんというのが、ハローワークの求人票に載っていた女性2人のうちのひとりだったらしい。仕事の指示書を書くとき、前の分を参考にしようと思ってページを繰っていたら、明かに女性と思われる筆跡があった。それも、かなり若い感じだった。
「そのひとはいつくらいに辞めてしまったんです?」と僕が訊くと
「Hさんが入るちょっと前よ。それで募集をかけたの。まだ、20歳で紅一点だったのに…」と奥さんは言った。女同士ということもあり、そのKちゃんのことを奥さんは可愛がっていたのかもしれないと僕は思った。それにしても、辞めてしまった女性をいるものとして求人票に載せるとは、ちょっとあこぎではないだろうか?

 応募者は社員数そしてその内女性が何人いるかということを気にするものだ。特に独身者ならさらにその傾向は強いと思う。出会いが少なくなってしまった今日、会社での出会いを期待する人もいるはずだ。また、女性の応募者にしても、同性が多く働いているというのは心強いと思う。

 もし、(有)N製作所が正直に人数を書いた場合、社員5人(うち女性1人)となる。この規模の会社で女性がひとりということは、普通に考えれば社長の奥さんが経理をやっているんだなと誰でも想像がつく。となると、若い男性の応募は期待できなくなるし、若い女性だって同年代の同性がいないというのは寂しいと感じ応募を躊躇う人も出て来るだろう。恐らくそういうことを考えて、辞めてしまった女性をいるものとして求人票に載せたのだろう、と僕は思う。

 それにしても、僕の前任者がわずか2ヶ月で退職してしまったというのは気にかかった。しかし、それは若い女性の気まぐれのせいだろうとも思った。まさか、この後、僕がほとんど彼女と同じ道程を辿るとは、想像できなかった。Sさんが「おはようございます」と入ってくると、奥さんのおしゃべりも終わった。

 会社に慣れるにつれて、段取りもわかってきた。まず、午前中に社長またはSさんが、仕事の受注に得意先を周る。そして、また午後は主にSさんが仕事の受注に得意先を周る。さらに夕方SさんまたはJさんが仕事の受注に得意先を周る。この他、メールまたはFAXでも仕事の依頼が来る。製品の納入は受注のときいっしょにする場合もあるし、別の便で向かうこともあった。また、小口の顧客は仕事があるときに電話があり、車で先方に行き受注していた。

 夕方の得意先周りは5時くらいに会社を出て、帰ってくるのは7時を回る。この時に今日中という仕事が大量に入ると大変なことになるのだ。特に金曜日にその傾向が強かった。初めて、夕方便で今日中という納期の仕事を任されたときのことだ。それは、それほど難しいものではなかったのだけど、まだ一人前といえない僕は焦りもあり、かなり手間取ってしまった。できたと思ってJさんのチェックを受けるとミスがみつかる。そんなことを3〜4回繰り返した。そのうち、頼んでいたおそばが運ばれてきた。みんな事務所の方に向かい、僕とJさんが最後にCAD室を出た。その時、
「何時間かかっているんです」とJさんが厳しい口調で言った。僕が何もいえずにいると
「今、9時ちょっと前だから…、2時間近くかかってますよ。まあ、まだ慣れてないから仕方ないけど、もう少し経ってこんなことやっていたら、みんなに殺されるよ、30分の仕事だよ」と吐き捨てるように言い、事務所に向かって行った。僕は情けない気持ちでいっぱいになった。それと同時にJさんにかなりの反感を覚えた。

 しかし、このとき一番納得がいかなかったのは、Sさんが残っていたことだったのだ。最終の納品で時間が遅くなる場合は、Jさんか社長が行くことになっていた。それは他の従業員を行かせた場合、管理者の彼らが先に帰るわけにはいかず、その人が戻ってくるまで待っていないといけないからだ。それだったら、どちらかが行って、他の従業員には帰ってもらった方がいい。Sさんの配送の仕事はもうなかったのである。また、まだCADをほとんど覚えていないSさんに、急ぎの仕事ができるわけもない。

 ではSさんは何故残っていたかというと、‘自分だけ仕事がないから帰るというわけにはいかない’というくだらない精神論のためだ。実際、Sさんがこのときやっていた仕事は翌日納期のものだった。しかし、社長もJさんもSさんに、「もう、帰っていいよ」とは言わなかった。何かやりたいというSさんに明日納期の仕事を与えたのはJさんだった。そして、これがいやな慣習となってしまったのである。

 ちょうど、この反対の日があった。CADの仕事は終わったのだけど、Sさんが納品に行ったまま、道でも混んでいるのかなかなか戻って来なかった。僕は自分の仕事が終わったので帰ろうとすると、Jさんに激しく叱責された。
「まだ、Sさんが戻ってきてないのに、自分だけ帰ろうとするんですか!」
僕は、あまりの剣幕に驚いた。そして、何でみんないっしょに帰らないといけないのだろうかと不思議で仕方なかった。毎日、毎日、遅くまで仕事をしているのだ、帰れる人は帰った方がいいのではないかと僕は思うのだが、Jさんは他の人ががんばっているのに、ひとりだけがんばらない奴がいるのは許せないと考える人だった。僕は仕方なく、別に明日でもいい仕事を、Sさんが戻ってくるまで続けた。そして、社長の奥さんが言った‘高圧的な人’がはっきりと誰かわかった。


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