採用通知、そして初出勤


 30日、午後8時ちょっと過ぎ、N製作所の社長から電話があった。予想通り「採用」だった。出勤日は2月10日からとなった。僕はいつからでもいいと言ったのだけど、いろいろと準備があるからということで、10日も間が空くことになった。「がんばりますので、よろしくお願いします。ありがとうございました」と言って僕は電話を切った。しかし、心はそんな前向きな言葉とは正反対のところにあったのだ。

 僕はまだ迷っていた。どうしたらいいのか…本当にわからなかった。仕事が決まったことはうれしかった。しかし、そこから始まる生活を考えると、ほんとにこれでよかったのだろうか?という気持ちが残る。その結果、僕はハローワークにこそ行かなかったが、翌日から毎日のようにそのホームページを見て、自分に合いそうな仕事を探していた。もし、いいところがあれば即面接を受け、採用されるようなことになればN製作所の方は断ろうとさえ考えていた。

 しかし、出勤日まであと5日くらいになったとき、僕は覚悟を決め、ハローワークのホームページを見ることを止めた。「折角、採用されたのだ。これも何かの縁だから、行くだけいってみよう」と思った。とにかく働いてみなければ、わからない。夏の旅行のことだって、仕事と何とか両立する方法があるかもしれないと楽観的に考えるようにした。前の会社は週休2日制だったが、変則で繁忙期は隔週になったりして年間休日は113日ほどだった。今度はそれが126日、ということは13日多いことになる。有給休暇を年間で13日取るのは、なかなか厄介だし、給料だって残業が多い分、多くなる可能性だってある…と僕は少しでも、自分の気持ちを納得させるための、口実を探していた。まだ、出勤日までは日数があったので、旅行でも行こうかと考えたが、物憂くなって止めた。

 いよいよ、初出勤日の2月10日、僕は早めに自転車で家を出た。うちから会社までは歩いても30分はかからない。自転車だったら、どんなにゆっくりこいでも15分あれば着いてしまうような距離だった。だから、8時10分くらいに家を出ても余裕なのだが、この日は8時ちょっと過ぎに家を出た。初出勤なのだ、早めについて多少なりとも他の従業員と親しんでおこうと思った。

 会社に着いたのは8時15分ちょっと前くらいだった。ドアを開けて「おはようございます」と声をかけたが、誰もいないようだった。だけど、ドアは開いているのだから、誰かはいるはずだ。2階に行き、事務所を開け「おはようございます」と声をかけたが、何の返事もなかった。どうしていいのかわからず、その場でしばらく立っていると、トイレの方から、社長の奥さんがやってきた。3度目の「おはようございます」を奥さんにいうと、ロッカーに案内された。そして
「うちの会社はみんな来るのが遅くてぎりぎりになのよ」と言われ、CAD室で座って待っているように言われた。しばらく、すると男の人の声がした。彼もまず、ロッカーに案内されてから、CAD室に入ってきた。ハローワークの求人票の募集人員は1名になっていたのだが、彼も僕と同じく採用になった新入社員だった。Sさんといい、見た目は若そうだったが、40歳を2つ、3つ越えているということだった。お互いに挨拶をして、名前を教え合い、その後は緊張していたこともあり話題が見つからず、お互いに黙っていた。しばらく、すると奥さんが社員全員のお茶を運んできた。「どうぞ」と言われたので、僕は冷めないうちにと思い、すぐに「いただきます」と言って飲み始めたが、Sさんは「いただきます」とはいったものの、飲まずにみんながそろうまで待つつもりのようだった。この時、何となくSさんと自分は合わないような気がした。

 始業時間の5分前くらいに社長がやってきた。Sさんと僕が「おはようございます。これから、よろしくお願いします」と挨拶すると、社長はうれしそうに笑って、「こちらこそ」といい湯呑をとってお茶を飲んだ。Sさんは社長の動きに合わせるようにお茶を飲み始めた。彼は佞臣タイプだなと僕は思った。

 次ぎに年配の四角いメガネをかけた人が入って来た。1階で組み立ての仕事をしている人らしく、工場長と社長は僕たちに紹介した。挨拶をすると、恥かしそうに「よろしく」と言った。そして、8時30分ぎりぎりになって、面接でも会ったJさんと30代後半くらいの太った男の人が入って来た。この人はMさんで、面接に来たとき、1階の入り口付近で働いていた僕が初めに声をかけた人だった。

 全員が揃ったところで朝礼が行なわれた。しかし、ハローワークにあった求人票には女性2人になっていた。どうなっているのだろう?と思ったが、そんなこと訊くわけにもいかず、疑問はしばらく残ることになった。社長は僕とSさんをみんなに紹介し、改めてそれぞれが自己紹介を行なった。当たり前といってしまえばそれまでだが、みんな自分の名前くらいしか言わないため、窮屈な感じがした。

 午前の仕事が始まったが、僕とSさんは何もできないうえ、仕事が忙しかったため、Jさんの後ろでCADの画面をずっと見ているだけだった。しばらくすると奥さんが入って来て、昼食はどうすると訊かれた。どうするもこうするも考えていなかったのだけど、会社でお弁当をとっているのでいっしょにどうかということだった。僕は会社の中でとってもらったお弁当を食べるのはいやで、できれば外に食べに行きたかったけど、何処に何があるのかもわからず、とりあえずとることにした。Sさんも、お願いしますといった。

 こうして午前中のMacの後にずっと立って画面を見ているだけという仕事が終わった。昼食は3階にある食堂で、社長、工場長、MさんそしてSさんといっしょにとった。Jさんは昼食もとらずにずっと仕事をしていた。これはいつものことだそうだ。みんなお弁当をとっているのかと思ったが、実際にとっているのは社長だけだった。工場長は奥さんが作ったお弁当を持ってきていたし、Mさんはインスタントのカレーを自宅から持ってきたご飯にかけて食べていた。あまり会話はなく、‘笑っていいとも’をTVで見ながら黙々と食べるといった感じだった。そしてMさんや工場長、そして社長も昼食をとり終えると、その場にごろっと横になり寝てしまった。しばらくすると社長のいびきまで聞えてきた。僕とSさんも仕方なく、横になり目を瞑った。これが、毎日の日課となっていき、そのうちSさんもいびきをかくようになっていった。

 午後も午前中の続きでJさんの後ろに立ってCADの画面を見続けた。そしてやっと仕事が一段落した午後4時頃から、CADを教えてもらえることになった。5時くらいからは社長による仕事の全般的な説明があり、定時で上がった。久しぶりの仕事でかなり疲れたが、しっかりと研修もやってもらえそうだし多少は安心した。


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