他人の痛みがわかるか?というのが最近気になっている。この場合の痛みというのは大切な人を失ったとか、失恋したとか、受験に失敗したとか、そういったときの心の痛みではなく、手を切ったり、何かにぶつかったり、或いは風邪などで具合の悪かった時の苦痛のことである。 僕のもっとも強く感じた痛みは三十代前半になった尿管結石だった。初めはそれほどでもなかったが時間の経過と共に痛みは増し、吐き気も伴ってガマンできないほどになった。ガマンできないほどというのは、「どうにかしてくれ!」と他人に臆面もなくアピールできるほどということである。 救急車で病院に運ばれ点滴を続け、数時間経ったくらいに担当の医師が来て診察をしてくれた。彼はエコーで調べながら。血液検査の結果などをみて「これは痛かったでしょう。マッサージしましょう」といってくれた。やっと僕の痛みを正当に評価してくれる人に出会って安心したのだが、彼が僕の痛みの度合いを正確にわかっていたのかということになると疑問である。あとから知ったことだが、尿管結石の痛みはキング・オブ・ペインといわれているようで痛みのレベルとしては最上位のようだ。 数年前、妻が階段を踏み外して足首が変な方向に曲がるほどの酷い骨折をした。この時、妻は痛がってはいたが、大騒ぎをするということはなく、「うーん」という感じで耐えていた。当然、痛みの程度はわからないが、冷静な妻の態度を見て彼女は痛みに非常に強いのではないかという感じを持った。しかし、いろいろな本を読んでみると酷い骨折やケガというのは、その見た目に反して意外と痛みを感じない場合もあるようである。 そんな妻も熱には比較的耐性が低いように思われる。これは、妻は幼少期からほとんど発熱した経験がないためと思われる。妻が熱を出したのは、昨年、ペルーに帰ったときに新型コロナに感染したときと今年、蜂窩織炎になったときくらいだ。 妻は仕事から家に帰ってくるなり「寒い、寒い」といいだして、熱を計ったら38.7度だった。今流行りのインフルエンザだと思い、僕も感染を覚悟したが、翌日になり足が広範囲にわたって赤く変色していた。病院に行くと蜂窩織炎だったのである。抗生物質を処方してもらい数日で回復したが、熱のある時、妻はぐったりとしていた。 じゃー、お前はどうなんだ?と訊かれれば、さらに酷く37度を超えるとぐったりして、動く気力もなくなる。これは僕の平熱の低いためと思われる。僕は熱が37度を超えると会社を休むことにしている。これはコロナ禍以前からである。今では熱のある時は休むというのは当たり前になってきているが、コロナ禍以前状況は違った。 ある製薬会社が「熱が何度あったら会社を休みますか?」というアンケートを会社員にしたところ細かい数値は忘れてしまったが38度を超えていて38.3とか38.4度だったように思う。僕は当時、この数字を見て驚いた。熱が38度を超えている状態で会社に行くなど考えられないことだったからだ。 仕事をしているうちに熱が出てきたということは何度もあるが、熱のある状態で出勤したことは記憶にあるのは一回だけである。それも午前中だけ働いて、午後は早退した。高校生の時、期末試験の最中、風邪を引いてしまって、だけど試験は午前中だけなので熱のある状態で学校に通っていたら、肺炎になってしまい入院したことがあった。それ以来、熱が出たら無理をしないというのが、僕のデフォルトになった。 しかし、世の中では37度で会社を休むなんていう人は少数派で、多くの人が38度の熱があっても出勤していた。38度の熱のある時、この人たちと僕の感覚とは違いがあるのだろうか?それとも両者の辛さはそれほど変わりなく、ただ僕の根性の足りないだけなのだろうか?などと考えたりした。 以前、勤めていた会社の上司が「会社を風邪くらいで休んだことはない。40度近く熱があっても出勤していた」といっていた。40度の熱のある状態で車を運転していて事故ったという。事故といっても熱でぼーっとしていて、赤信号で停止中、ブレーキから足が離れてしまい、車が動き出し前の車にコツンと当たってしまったということだった。彼は部下に「風邪くらいで休むな」と強要したことはなかったけど、暗にそれを要求していたように思う。 この上司は自身の苦痛の度合いと他人の苦痛の度合いにそれほど変わりはないと考えていて、自分が出勤できているのだから、他の人も…と思っていたのかもしれない。しかし、他人の体調の悪さを知ることはできない。自分が大丈夫だったとしても他人は無理なこともあれば、自分には無理でも他人は大丈夫ということもある。 僕の経験からいうと、体調不良や痛みに対する耐性は個人差が大きいように思う。前述の40度近くの熱がありながら出勤して配送の仕事をした上司にしても、赤信号で止まりうつらうつらとするまでは、事故も起こさず運転できていたわけである。僕だったら絶対に無理だ。 他人の苦痛をわかろうとする必要はないし、また、それは無理である。他人の苦痛はその本人に任せておけばいい。ただ、痛みや苦しさに寄り添う姿勢は必要だと思う。現在は風邪を引いたら休むというのが当たり前になってきている。大変にいいことというか、やっと当たり前の社会になった感じだが、これがいつまで続くかわからない。数年後にはコロナくらいで休むなという社会に逆戻りしている可能性もないわけではない。(2025.2.17) |