竹槍とマスク

 前回、日本の空気支配はいつまで続くのだろう?と記したが、これは今に始まった話ではなく、ずっと以前から存在していたようである。山本七平著「空気の研究」には西南戦争の例が引かれているが、日本が統一されてから延々と続いているのかもしれない。

 空気が支配することによる最大の弊害は、真に必要な措置との乖離である。「空気の研究」の中でもその例として戦艦大和の沖縄出撃やイタイイタイ病、公害問題などが上がっているが、それが最悪の形で現れたのが太平洋戦争だと僕は思う。

 長年、何故、負けるとわかっていてアメリカと戦争をしてしまったのかということが疑問だった。軍部、特に陸軍の暴走により、国民を戦争に巻き込んでいったものだと何となく思っていた。そんなときに面白い本が出た。田原総一朗著「日本の戦争」である。この本の主題はまさに何故、負けるとわかっていてアメリカと戦争をしてしまったのかを解き明かすものだった。

 アメリカと戦争したら負けるというのは、ただ何となくやったら負けるだろうなという感覚的なものではなく、当時の軍事研究所が各種のデータを精査して出した結論だった。したがって、日本のとるべき道は何として戦争を回避しなくてはならず、そのためにはアメリカと徹底的に外交交渉を続けることが必要だった。

 しかし、現実としては太平洋戦争に突入し、最後、主要都市は空爆され、二発の原爆を投下されるといった悲惨なことになった。何故、戦争は回避できなかったのか、「日本の戦争」のあとがきには「あの戦争が始まった原因は軍部の暴走ではなく、世論迎合だった」と書かれている。つまり、当時の空気に逆らうことができず、指導者たちは開戦してしまったのである。

 戦争を強く望んでいたのは陸軍の青年将校たちであった。そして、彼らを後押ししたのは世論だった。その世論の形成には新聞が大きく関わっている。当時の新聞は戦争を煽りに煽った。「打倒鬼畜米英」などの見出しが躍っていた。それは、そうすると新聞が売れたからである。「アメリカと交渉継続を」などと辛気臭いことを載せると売り上げは落ち、「米英に鉄槌を」などと威勢のいいことを載せるとよく売れた、それだけである。

 当時のマスコミは本当に必要な日本のとるべき政策を載せるよりも、中身のない威勢のいい見出しを躍らせ自社の利益を優先させたのだった。自分のことを第一にする、真実よりも売り上げ・視聴率という姿勢は現在でも全く変わらないマスコミの体質である。

 海軍は戦争には乗り気ではなかった。しかし、声高に反対することもなく、消極的賛成という形をとった。それは戦争に反対することで予算の削られるのを恐れたためだといわれている。国益よりも、省益を優先させてしまった。海軍もマスコミと同じく、自分第一だったのである。

 天皇陛下は戦争に反対であり、東条陸軍大臣を総理大臣に任命するというウルトラC的な人事を行った。戦争に前のめりになっている陸軍を抑えられるのは東条しかおらず、彼を総理大臣にして毒をもって毒を制する方策に出たのである。

 天皇の意を受けた東条は戦争回避に動いたが、世論の高まり、そして陸軍内部の動きにアメリカに譲歩すれば内戦またはクーデターが起きると判断し、それだったらまだ「秩序ある戦争」した方がましと考え開戦に至った。

 真珠湾攻撃の戦果に国民が喜び提灯行列をしていたとき、すでに日本の敗戦は決定していたといえる。日本が軍事力でアメリカを屈服させることはとてもできない。したがって唯一日本がアメリカに勝つとしたら、アメリカの世論に厭戦感が漂うような雰囲気を創り出し、早期にできるだけ有利な条件で講和するしかなかった。山本五十六連合艦隊司令長官も近衛総理大臣から対米戦争の意見を訊かれたときに「半年、一年くらいは暴れて見せるが、2年、3年となると勝利は全く確信できない」といっている。真珠湾攻撃もこの点を考慮して軍部の中で反対意見が出ていた。

 奇襲は見事に成功したようにみえたが、実はアメリカのルーズベルト大統領はこの作戦を事前に知っていた。しかし、真珠湾に駐留している軍には知らせなかった。「汚いジャップ」というイメージを創り出し、戦意を高揚させるためである。これによって早期の講和という道筋は断たれた。真珠湾攻撃の成功により、国民は狂喜したが事情をよく知る人たちはとんでもないことになったと苦悩した。

 戦争に入り、全体主義的な空気が強くなった。「贅沢は敵」となり、パーマをあてることさえできなくなった。「欲しがりません、勝つまでは」がスローガンとなった。英語は敵国語となり、使用禁止となった。同じ頃、アメリカでは敵国の日本を知るためにはまず言語からと、軍が日本語学校を開設し優秀な人たちを入学させている。

 自由が失われ息苦しい日々の連続のように思えるが、当時の人たちは「当たり前」だと感じている人が多かったようだ。向田邦子さんのエッセイの中に1人英語の勉強をしていた女の子の逸話がある。いっぱしの軍国少女となっていた向田さんは敵国語である英語の勉強している少女が面白くなく、ある日、何故英語を勉強しているのか詰問した。するとその少女は「日本は戦争に負けて、アメリカ人が入ってくるから英語を勉強するようにお父さんにいわれた」と話す。彼女のお父さんは海軍将校だったという。

 戦況は悪化し、都市部は空爆を受けるようになる。本土決戦という言葉が出る頃になると竹槍訓練が始まる。竹の先を鋭く切り、相手を突く動作をしたりするのである。藁で作られたアメリカ兵をイメージした等身大の案山子に竹槍を突き刺したり、上空を飛んでいるB29をイメージして突き上げたりもしていたらしい。山本氏によると「それではB29に届かないぞ」と勇気ある発言をした男性がいたという。当たり前のことを言ったのだが、彼は非国民の誹りを受けたそうだ。

 現在、非国民の誹りを受けるといえばコロナ対策をやっていないと判断された人たちである。最近ではさすがになくなったが、緊急事態宣言の発出されているとき営業してお店へのいやがらせ、出歩いている人たちへの中傷、他県ナンバーの車を傷つけるといった行為があった。これはステイホームを繰り返し発信していた知事、外出している人たちの映像を流し、さも悪いことをしているといったナレーションをつけて放送したテレビなどの影響を受けた人の多かったことを示している。つまり、自分たちは善で外出している人たちは悪だから、懲らしめてもいいといった感情が働いたと思われる。

 僕自身、一度だけ自粛警察の現場をみたことがあった。確か、一回目の緊急事態宣言のとき家の近くのバス停で降りるとそのすぐ横にある公園で小学生たちがサッカーをして遊んでいた。すると通りかかった70代くらいの男性が「外で遊んでいるんじゃない!早く家に帰れ!」と怒鳴った。しかし、子供たちは気にすることなく、サッカーを続けた。「外にいることは悪」との極めて間違った思い込みによるもので起きたことのように思う。

 「外にいることは悪」というのは感染対策から考えて何の根拠もないことである。ステイホームが過大に宣言された影響でディテールが塗りつぶされてしまった。ずっと家にいるというのは、確かに感染の確率は下がるように思われるが、実際は体力を低下させ、免疫力を低下させ、決してメリットばかりではない。 広場などで適度な運動をするのは、必要だったのである。

 これはマスクに関しても同じで、マスクは飛沫を防ぐだけのものなのに、いつしかマスクをしていれば感染を防げるという間違った解釈が一般的になり、感染対策のアイコンのようになってしまった。マスクをすることによるデメリットはいくつもあるし、海外ではそれが指摘されているが、日本のマスコミではほとんどそういった報道はない。戦中の竹槍訓練の再現である。

 竹槍訓練の無意味さを指摘した人はどのくらいいたのかわからないが、それを発言した男性を山本氏は“勇気ある”と表現していることからほとんどいなかったのではないかと思われる。現在は当時とは比較できないほど情報も入手しやすくなっているし、はるかに自由に発言できる環境になっているとは思うのだが、メンタリティは竹槍訓練の頃と変わらないのではないかと感じる。

 3月13日から屋外・屋内問わず、マスクの着用は個人の自由となる。そのことである会社を取材していた番組をみたら、コロナの感染ではなく、他人がどう思うかということばかり気にして議論がされていた。同調圧力の強い社会に住んでいる思考停止した人間、残念ながらこれが今も昔も変わらない日本人なのである。(2023.3.4)


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