テレビを見ていると連日、政府のコロナ対策の批判、自粛しない人たちへの非難ばかりを報道している。しかし、感染者数、死者数とも日本は欧米各国と比べるとはるかに少ない人数に抑えられている。したがって数字だけみれば、日本のコロナ対策は巧くいっているともいえる。しかし、やはり日本のコロナ対策は失敗と言わざるを得ない。コロナ禍の間、コロナ感染者は少ないが、女性・子供の自殺は過去最多となり、医療従事者、コロナ感染者に対する差別は助長され、自粛警察・マスク警察といった相互監視の息苦しい世の中になった。その最大の原因となっているのはテレビを筆頭とするマスコミの報道であり、毅然とした姿勢を示さない政府の無責任さが後押しをしている。 マスコミはこの一年間、連日、新型コロナへの恐怖を煽る報道を繰り返してきた。PCR検査陽性者を感染者と言い換え、連日、悪い数字ばかりを強調して放送している。過去最多ですとか、月曜日としては過去最高ですとか、さらには先週の月曜日よりも20人増えていますとか悪くなった数字ばかりを強調している、数字が下がった場合には、それを一切報道せず、重症者数が増えていますとかいい、それも減ってくると後遺症、変異株など手を変え品を変え、視聴者に恐怖を与え続けている。害毒以外の何物でもない。そしてPCR検査の本質やワクチンの詳しい説明については何もいわない。 本来なら政府はマスコミの過剰報道を訂正しなくてはいけないが、それを利用して強い対策を取る裏付けとしている感がある。小池都知事や西村大臣はPCR陽性者の増えていることを国民が緩んでいるせいだとして、Stay Homeを呼びかけ、外出時にはマスクをしましょうといっている。しかし、このStay Homeとマスクの着用が返ってコロナの感染を広めてしまっているように思う。 できるだけ家にいて、外出するときはマスクを着け、外出先では手指消毒をする。一見、完璧な感染対策にみえるが、これらは全て免疫機能を落とす行為である。コロナに限らずウィルスに感染しないために一番大切なのは人間の免疫である。しかし、現在、奨励されている感染対策は全て免疫機能を低下されるものばかりで、さらに恐怖を煽るテレビによってストレスを与えられ、それをさらに加速させている。もっと感染者を少なくしたいのなら、健康的な生活を追求することである。バランスのとれた食事、適度な運動、ストレスの少ない日常を過ごすことだ。 小池都知事、西村大臣、さらには日本医師会会長などが感染者の減らないことに苛立ち「緩んでいる、弛んでいる」と国民に責任転嫁したことは大きな悪い影響を及ぼした。これにより、「コロナに感染するのは緩んでいる、弛んでいるからだ」といった悪い印象を与えることになってしまった。さらにコロナに罹患した有名人が謝罪したりして、コロナに感染することは悪いことという間違った意識ができてしまった。もちろん、コロナに限らず、病気になることは悪いことではない。 コロナに感染することは悪いことという意識は、コロナ差別に繋がっていく。コロナに感染してしまった人や、コロナ患者と接触している医師や看護師まで様々な嫌がらせを受けるようになった。高速道のサービスエリアで他県ナンバーの車の調査をする知事まで現れ、他県ナンバーの車を傷つけたり、嫌がらせをするといった他県ナンバー狩りが横行した。自粛警察やマスク警察と合わせ、まるで戦前に逆戻りしたかのような息苦しい相互監視社会化してしまったことがコロナ禍における最大の問題である。 政府の新型コロナ対策の失敗は感染者や病床数のひっ迫具合、それに経済の状況を考え、適切な判断を下す司令塔のいないことだ。例えば台湾ではオードリー・タン氏、スウェーデンではアンデシュ・テグネル氏のような人物である。両者の成果は現在では分かれているが、確固とした哲学を持っているという点は共通している。それに比べて日本の対策は緊急事態宣言を連発したり、批判されたらGO TOを止めてしまったりとマスコミの論調に左右されている。結局は内閣支持率の上下によって政策が選択されているだけなのである。 コロナ対策の中心的な司令官のいないということは、責任と覚悟を持ってこの問題に対応しおうとする人が不在ということである。責任者不在のため、責任の擦り付けが行われるようになり、それぞれは自分の利益または自分の所属する団体の利益ばかりを考えるようになる。国民のためなどとは誰も考えない。政府は内閣支持率ばかりを気にして、野党はコロナ禍を利用して内閣の批判に精を出し、日本医師会は医者の利益を考え、マスコミは視聴率を上げること躍起になっている。 そして出てくるのはほとんどが科学的なエビデンスを伴わない精神論的な対策である。緩んでいる、弛んでいるといった言葉で表されるように、根性が足りないから感染するのだといったことが公の電波を使って堂々と流されるご時世になってしまった。そのため、多くの人が車やバイク、自転車に乗っていたり、一人で歩いている時でさえマスクを着用している。感染リスクの全くないところでのマスク着用はまさに日本人的精神論の表れである。時間が100年近く戻ってしまった感がある。同調圧力と思考停止に支配されている。日本人は先の戦争の頃から本質的にはあまり変わっていないのかもしれない。 しかし緊急事態宣言の連発、テレビでの連日の煽り報道が続き、それに嫌気がさしたり、気づき始めた国民も増えてきた。若い人のテレビ離れは進み、僕の周りでもテレビを全く見ないという若い人は多いし、僕自身もワイドショウは元より、ニュースもほとんど見なくなった。緊急期待宣言が発出されていても、街の人出が減らないのはその現れだと思う。緊急事態宣言と過剰なコロナ報道はオオカミ少年化してしまったのである。 そしてさらに深刻なのはコロナ差別だ。コロナに感染した人の行動を悪意をもって報道し、さらに知事や大臣たちの「弛んでいる」発言によって、コロナに感染するのは害毒だという認識ができてしまった。そのため、発熱などの症状が出ても、診察を受けない人が多くなった。誰も差別される側には回りたくないし、また、コロナと診断されれば周りに迷惑がかかるという気持ちが強くなったためだ。もともと日本は風邪くらいでは会社を休むなという風潮が強く、感染を広げているのは無症状感染者ではなく、有症状でそれを隠して社会活動している人たちではないかと思っている。 さらによく考えれば、発熱する病気はコロナだけではない。というよりもしろ、圧倒的にコロナ以外の可能性が高い。しかし、現在は発熱があればまずはコロナを疑われる状態で、そのため病院に行かない人、または、行ってもPCR検査に時間を取られて自身の病状を悪化させてしまうことも考えられる。 まずは新型コロナを感染症5類相当にして、一般の病院でも診察を受けられるようにすることである。そこでまず病名を特定し、コロナの疑いのある場合のみPCR検査等を行なえばいいと思う。むやみやたらにPCR検査を行うことは止めるべきだ。PCR検査陽性者=新型コロナ感染者でないことは厚生労働省も認めている。感染していない人もPCR検査陽性者であれば、隔離されてしまうのである。全くの人権侵害なのだが、ほとんどの人は問題として取り上げない。おかしな世の中になってしまった。 政府には早く現状を正確に分析して、マスコミの報道やそれに煽られた世論に左右されずに正しい判断を示してもらいたいと思う。そしてこの茶番劇を一刻早く終息させるべきである。(2021.5.16) |