新しい生活様式の問題点

 テレビを観ていたら、小学校の教室の机の上に段ボールの衝立を置いて授業を受けている小学生の姿が映し出されていた。佐賀県の小学校の映像だったが、ネットで調べてみると多くの学校がこのような感染対策をしているようだ。フェイスシールドにマスクという完全防備のところもあった。

 テレビではこの段ボール製の衝立を素晴らしいといった論調で紹介していた。進化版として段ボールの前面と側面を切り取り、そこに薄手のアクリル板を張り付け視界を確保しているものも登場した。これだと黒板もよく見えるし、隣の友達とも話せる。実際に段ボールシールドのなかった時に比べて、友達と話すことが多くなったという。

 しかし、僕には素晴らしいとはとても思えなかった。逆に心配になってしまった。一時的なものなら仕方ないとまだ思えるが、長期になると子供の成長にどのような影を落とすことになるのか心配になったのである。給食を食べるときもシールドに囲まれて、黙々と食べている姿を見ると悲しい気持ちになってしまった。友達同士わいわいと話しながらの給食風景が早く戻ってほしいと思った。

 佐賀県の感染者数を調べてみると累計で47人だった。佐賀だけではなく、日本全体をみると最近はほとんどの地域で感染者は出ていない。現在では東京だけが突出している。感染者の多い地域と少ない地域、感染には濃淡がある。日本全体がすべて同じ基準で動くことはないと思う。

 新しい生活様式というものは、全国一律ではなく、地域の感染の濃淡によって変えるべきだと思う。接触をなくし、おしゃべりを控えさせるというのは子供の心身に暗い影を落とすものだ。子供には三密は必要なものだと思う。地域に感染が広がっていないのなら過剰な対策は必要ない。子供は感染しても重症化しにくく、また、感染者も少ない。感染防止を最優先にするのではなく、健全な心身の成長を重視して、伸び伸びとした学校生活を送らせてあげたい。

 そもそも新しい生活様式をいう呼称には違和感がある。正しくは感染予防のための生活様式ではないだろうか。学校だけでなく、地域の感染の濃淡により、新しい生活様式も変わってこなくはならない。感染者が一人も出ていない岩手と東京を同一の基準にするのは理にかなっていない。

 経済を早く建て直すためには、地域の実情にあった感染防止策を施さなくてはならない。感染者が出ていないのに、ソーシャルディスタンスだ、三密だとバカげている。感染者が出ていなければ、あえて‘新しい生活様式’とやらに移行する必要はなく、今まで通りでいいと思う。どうして日本人はみんないっしょじゃないと、気が済まないのだろうか?

 23日夜、高知県は市内の老舗旅館で懇親会を開いた。高知県知事をはじめ、県議、県・県警察の幹部ら100人が出席した。会場には円卓が用意され、通常は10人で使用するところを8人に減らした。懇親会中はマスクを外し、御酌をしたり、楽しく談笑していた。硬直している現状を一歩進めるための、試験的な宴会ということだろうが、時期尚早など否定的な意見が多いようである。しかし、僕はいいことだと思った。

 高知県では4月28日以来感染者は出ていない。2か月間0だったのである。このような状況で一歩踏み出してみることは必要なことだと思う。いつまでも感染を恐れ閉じこもっていても仕方ない。感染症対策は硬直化しがちになる。状況は変化しているのに、ずっと同じことを続けてしまうのだ。一歩踏み出すというのは批判を受けることも多い。出る杭は打たれるという諺通りである。しかし、一歩踏み出す勇気がなければ何も変わらないのも事実だ。

 もうそろそろ感染予防最優先ではなく、人間らしい本来の暮らしということに目を向けてもいいのではないかと思う。感染予防を声高に訴えるばかりでは、人間らしさを喪失した社会に変容してしまう。(2020.6.28)


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