緊急事態宣言下の日本

 緊急事態宣言が発令され、様々な気になる動きが現れた。うちの近所の公園で、僕が仕事帰りのバスから降りると、だいたい数人の子供たちがサッカーをしていた。学校の休校となっているためだった。ある日、初老の男性が通りかかり、「外出は自粛しろといわれているだろう。外で遊んでいたらダメだ」と注意をした。子供たちは注意され、しばらくは所在なさげに立っていたが、老人が立ち去るとまたサッカーを始めた。

 この老人が子供たちに注意したのは、外出を自粛してくださいという政府からの要請が根拠になっている。そして、老人の正義感をさらに補強する材料を提供したのは、テレビのニュースやワイドショウだと思わる。彼らは連日、外に出ている人たちの映像を流し、外出自粛が要請されているのにけしからんといったスタンスで報道していた。スケープゴートは日替わりで変わった。公園で遊ぶ親子、海岸に集まる人々や波乗りをするサーファー、ゴルフ練習場に集まる人々などで‘緩み’が出ていると強調していた。

 さらに彼らの攻撃対象は休業要請に従わないパチンコ店に向かう。格好の攻撃対象を見つけたのだ。休業要請とは感染拡大を抑えるため、自ら進んで営業を止めてくださいという要請である。そして、協力してくれた事業者にはお金を支給しますというものだが、その補償はあまりにも僅少であった。したがって店を潰さないため、従業員の雇用を守るため、休業要請に従わない店が出てくるのは当然なのである。冷静に判断すれば休業要請に従わないパチンコ店の方が理にかなっているとわかるはずだ。自粛はあくまでも自粛で強制力はない。そして、罰則を伴った強制力を持たせるならば、それは十分な補償とセットでなくてはならない。

 しかし、行政はこういった根本的な問題に蓋をして、休業要請にしたがわない店名を公表するといった力業に出た。メディアもこれに乗っかり、連日、映像を流し、世間の怒りを煽った。ついには営業を続ける店舗まで出向いて行って、大声で抗議する輩まで現れた。政府が自粛しろといっているのだから、自粛しろというわけで、彼らにしてみれば正義の代弁者ということになるのかもしれない。また、テレビでこのことを知った多くの人も、店まで出向いていって騒ぐのはやり過ぎだとは感じながら、営業を続ける店には苦々しい思いを持った人が多かったように思う。

 僕の職場でも店を開け続けるパチンコ店と開店前から並んでいる人たちを「バカって本当にいるんだね」と冷めた目でいった人もいた。しかし、新型コロナ感染予防のための自粛と私権の制限といった問題は慎重に考えなくてはならない。パチンコ店のオーナーが憲法25条の生存権を侵害していると主張していたが、決して屁理屈ではなく、大切な論点だと思う。感染拡大を防ぐためにはある程度私権を制限しなくてはならないが、それは最小限にとどめられるべきで、それによって受ける損害については補償が必要である。

 しかし、実際には世間は「自粛しない奴は非国民」という空気に支配され、所謂自粛警察という‘正義’を振りかざした人たちも現れた。テレビは自粛警察の司令塔のような役割をした。特に酷かったのは、感染確認後、山梨の実家から東京の家へ帰った女性に対する報道である。犯罪者でもない個人の行動を不適切というだけで、テレビが報道するというのは常軌を逸している。重大な人権侵害で、以前からだがコロナ感染者はまるで犯罪者のような報道がなされおり、社会に与えた影響は大きい。コロナ感染者はバッシングしてもかまわないという雰囲気が醸造されてしまった。

 コロナに感染した有名人がバッシングにあったり、他県ナンバーの車を傷つけたり、ライブ映像を配信していたライブハウスや営業している飲食店に脅迫めいた張り紙をしたり、マスクをしていない人、外出をしている人を警察に通報するなどといったことも多発した。電車内でマスクをしていなかったり、咳をしただけでにらまれたりして、ケンカになったケースもある。同調圧力が強まり、相互監視の息苦しい社会に変容していった。

 相互監視に密告となると何処かに国の秘密警察を思わせるが、コスト(補償)をできるだけ抑えて、市民を抑え込む(自粛)ためには有用である。さらに緊急事態宣言が解除され、感染者が多少増えたら、その原因は夜の街と都知事は名指した。テレビに出演していたコメンテーターが「私たちの常識と相容れない常識を持っている人たちにわからせるためには、罰則を導入することも考えなくてはならない」と発言した。正にファシズムであり、公の電波でこのようなことを平気で発言するというのは、世間がそのような空気になっているからに他ならない。

 自粛警察的な行動をとる人間はほんの一握りだし、また、彼らの行動を積極的に肯定する人も少ないように思う。しかし、自分の周りにいる人たちの反応をみていると、彼らとの距離はそう遠くないように感じる。ある人は街中でマスクをしていない人に対して「ああいう連中が感染を広めているんだ」と語気を強めていっていた。

 自粛警察の行為自体は健全とはいえないが、そのような人間が一定数出るのは健全な社会だと思う。問題は大多数を占める傍観者である。自粛警察に冷笑的であっても、それに対して自分には関係ないとやり過ごすと、やがて黙認は同調へと色彩を変え、気が付いたときにはみんなで一つの方向へ歩きだしていたりする。全体主義的になるのは非常に危険で、特に日本人はその傾向が強いように思う。

 大多数を占める傍観者の中から、自粛警察的な行為に対して明確にNOを突きつける人たちが出てくることによって健全な社会は保たれるのではないだろうか。(2020.6.20)


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