東名高速あおり運転死亡事故の裁判が始まった。6月5日、東名高速下り線中井PAの出口付近に止まっていた車に一家4人でドライブをしていた萩山さんが「邪魔だ、ボケ」と注意したことから悲惨な事件は発生した。注意を受けた石橋容疑者は萩山さんの車を追跡、あおり行為を執拗に行い、追い越し車線に停車させた。車のドアを開けさせ、萩山の腕を掴み、車外へ引きずり出そうとしているところに、後ろから来たトラックが衝突、車に乗っていた4人家族のうち萩山さんと妻の友香さんが死亡した。 この事件もそうであるように、被害者の行為があおり運転を誘発するケースがほとんどのように思う。僕は被害者にも責任の一端があるといいたいわけではない。場合によっては安全運転をしていても、それが加害者を苛立たせる原因にもなったりする。加害者にとって気に食わないこと、自分の思い通りにならないことがあると、その苛立ちを発散させる手段として目障りな車をあおる行為に出るのだ。 スティーブン・スピルバーグ監督の作品「激突」はあおり運転による恐怖を描いた作品である。主人公の中年男性は友人と会うため、車で遠乗りをする。その途中、大型トレーラーを追い越したことにより、あおり運転による恐怖を体験することになる。この映画の巧みなところは、大型トレーラーの運転手が画面に登場しないことだ。腕や足など、体の一部は映るが、それ以外は一切出てこない。どんな男が運転しているのか、わからない怖さを覚える。また、運転手を登場させないことにより、大型トレーラーが意思を持った怪獣のように思えてくるのである。 この映画で、あおり運転を誘発するきっかけは、追い越しである。主人公には、何の落ち度もないわけだが、あおり運転をする側にとっては、むかつく行為だったのだろう。それによって、とんでもない結末に至るのである。僕も以前、同じような状況であおり行為を受けたことがある。 その日、一人で東北道の走行車線を走っていた。すると前にトラックが見えてきた。僕の車の方が、若干スピードが速かったようで徐々に車間は縮まっていった。友達の中にはトラックの後ろについて走ると、風の抵抗が少なくなり、燃費がよくなるという人もいるが、僕は前方の視界が遮られるのでイヤなのだ。だから、このときも追い越し車線に出て、トラックを追い越し、十分に車間をとってから走行車線に戻った。 しばらくすると前方を走る乗用車との車間が詰まってきた。追い越そうかとも考えたがまだ先は長いし、のんびり行こうと思いスピードを落とし、前の車に合わせた。すると、バックミラーに映る先ほど追い越したトラックが徐々に大きくなり、今度はトラックが追い越し車線に出て、僕の車を追い越していった。そして、すぐに僕の車の前に入った。あまりに急だったので、ブレーキを踏んだくらいだった。 さらに、僕の前に入ったトラックは、速度を落としてきた。はじめは、僕の前を走っている乗用車のせいだろうと思っていた。しかし、あまりにも遅いので、僕は追い越し車線に出て、再度、トラックを追い抜こうとした。すると、トラックも追い越し車線に車線変更し、僕の車を前に行かせないようにした。このとき、はじめてあおり行為を受けていると自覚した。 僕は走行車線に戻り、左側からトラックを追い抜こうとしたが、トラックもまた走行車線に戻り、僕の前をカットする。理由はわからないが、僕の車を前に行かせないようにしていることは確かだった。僕は恐怖を覚えた。全く理由のわからない怖さである。 僕は追い越すのを諦め、車間を空けてトラックの後ろをしばらく走り、様子を見ることにした。するとトラックも僕の車の速度に合わせるように速度を落とし、車間の空かないようにした。さらに、時折、ブレーキを踏んだり、テールを振ったりする挑発行為を続けた。 なぜ、このようなあおり運転を受けているのか、わからず混乱した。すると前方にサービスエリアを示す標識をみつけ、僕の前方を走るトラックがサービスエリアを通り過ぎたことを確認してから、急ハンドルを切ってサービスエリアにつながる車線に入り、トラックから逃れることができた。 サービスエリアで、気持ちの落ち着くまで、30分くらい休んだ。その間に、なぜあおり運転をされたのか、その理由を考えてみた。そしてひとつの結論に達した。僕がトラックを追い越したこと、その後、走行車線に戻り、トラックの前に入ったことは問題のあるようには思えなかった。問題はその後、前方を走る乗用車に合わせて、速度を落としたことだ。 トラックの運転手にしてみれば、自分を追い越していった車が速度を落として前を走っていることを、からかわれているように思ったのかもしれない。僕は視界の悪くなることを嫌ってトラックを追い越し、それより遅い速度で走っている乗用車は前方の視界は確保されるので、追い越さなかったのだが、トラックの運転手は、そんな事情知る由もなく、自分だけ追い越し、前に入り速度を落とした車にむかついたのだろう。自分はあおられていると考えた可能性もある。あおり行為は、その報復だったのだろう。 他にもバイクで北海道をツーリングしていたとき、車から幅寄せや危険な追い越しを受けたことも多い。北海道では一般道でも時速90Km前後で運転している車が多いので、70Kmくらいで走っているバイクは目障りな存在と感じるドライバーもいるのである。安全運転をしていても、それを鬱陶しいと感じるドライバーもいるということだ。 道路上には、年齢の全く違う多くのドライバーとこれまた全く性能の違う多くの車が行き交っている。自分の思い通りに走ることなど不可能なのだ。必ず、イラっとすることが、誰にでも起きる。その気分を自分の中で消化できるかどうかで、あおり運転に発展するかどうかが決まってくる。ちんたら走っている、ブレーキのタイミングが遅い、割り込まれた、幅寄せされたなど、あおり運転を誘発する行為は、道路上に溢れている。始めの方に、‘(あおり運転を受けた)被害者の行為があおり運転を誘発するケースがほとんど’と書いたのは、そういうことなのだ。 あおり運転を行う加害者は自分本位の思考傾向が強く、行動を抑制する能力に欠けた人だと思う。相手の状況など考えず、自分のむかついたという感情に任せて行動している。したがって、どんなに注意をしたとしても、あおり運転を避けることはできない。あおり運転を受けたとき、どうするかということだ。 やはり、絶対にやりかえしてはいけない。重大な事故につながる恐れがある。そして、できるだけ速やかに、その相手から離脱することである。高速道路上であれば、サービスエリアに入ったり、高速を降りてしまう。一般道では、お店や観光施設の駐車場に入ったりして、車を止めることを考えた方がいい。その後は警察に通報ということになるのだろうけど、まず、狂人は避けるべきだ。気持ちがエスカレートしてくると、何をするかわからないからだ。 あおり運転は恐らくなくなることはないだろう。一般社会にもいえることだが、道路上の起こることは全て繋がっている。自分の思い通りに運転できるなどということは、ほとんどなく周りの状況に合わせて、自分をコントロールするしかない。ストレスの大きな社会になればなるほど、人のキレる限界点は下がってくる。誰でもあおり運転の被害者になる可能性があるように、誰でもあおり運転の加害者になる可能性もある。心掛けることは、まず、自分があおり運転の加害者にならないことである。(2018.12.9) |