サッカー日本代表の選択

 決勝トーナメント進出をかけたポーランド戦をテレビ観戦した。サッカーのワールドカップを始めて観たのは1982年のスペイン大会だから、36年前ということになるのだろうか。もともと僕は子供の頃は野球が好きで、学校の友達とチームを作っていたりしたが、サッカーには全く興味は無かった。そんな僕がワールドカップを観るきっかけになったのはサッカー部に入っていた従弟から勧められたからだ。初めて観たワールドカップは面白かった。そこには本当の真剣勝負があった。

 当時は勝つと勝ち点2、引き分けは勝ち点1だったので、グループリーグで有力チーム同士がぶつかると、双方とも失点を避けるため、守備的なサッカーに終始し、かなりの確率で引き分けになった。従弟は、「グループリーグは面白くないよ」といっていたが、僕はそれもまた上のステージに進出するための作戦として面白く感じていた。

 勝ち点を取るため、または、決勝トーナメントの組み合わせを考えての引き分け狙いということは、よくあることだ。ワールドカップで重要なのは、如何にして次のステージに進出するかという戦略である。しかし、今回、日本のとった負けを受け入れ、他力に期待するという選択はあまり例をみないのではないだろうか。

 0-1でリードされこのままでは自力で決勝トーナメントに進むことのできなくなった日本は、本来ならリスクを冒しても攻め続けなくてはならないはずだった。しかし、他会場で行われていたコロンビア−セネガル戦で後半の29分にコロンビアが先制したことにより、事態は変る。このままコロンビアが押し切ってくれれば、0-1のままでもフェアプレイポイントの差で決勝トーナメントに進むことができるからである。

 このとき考えられる戦術はいくつかある。ひとつは、あくまでも自力でグループステージ突破を目指すことである。とにかく点を取ることを最優先にして、前がかりになって攻め続けるというものだ。ただし、当然、カウンターをくらうリスクは大きくなり、失点や失点を恐れての反則なども犯す可能性も高まる。

 次に、失点するリスクを極力抑えながら、攻撃するというものである。つまり、状況に関係なく0-0のときと同じようなスタイルでの試合運びということになり、状況が変わらなければ攻撃に多くの人数をかけるなどのギャンブルには出ない。この方法だと失点するリスクは減るが、それでも点を取りに行くわけだから、相手からも攻められることになり、失点する可能性は残る。さらに、イエローカードをもらうリスクも当然ある。そして、何よりも攻守のバランスが難しく、選手個々の認識の違いが出たりすることも考えられ、混乱を招く可能性もある。

 最後に、今回、西野監督のとった戦術である。負けを受け入れ、攻めることを止め、自陣でボールを回し続けるというものだ。相手のポーランドは、日本に勝つことを目標に試合をしているわけだから、そういう日本の姿勢をみれば積極的にボールをとりにくることもなく、両者の利害は一致してこのまま試合を終わらせることが出来る。ただ、もしセネガルが同点に追いつくということになると、日本は決勝トーナメントに進むことはできず、批難の嵐ということは想像できる。

 後半37分、FWの武藤にかえて、長谷部を投入したとき、これはもう攻めないということなのかなと思った。そして、ディフェンダー陣がパス回しをはじめたときは、何を考えているんだと思った。セネガルが得点をする可能性があるのに、戦うのを止めてしまうことを腹が立ったのである。恐らく、コロンビア−セネガルのそれまでの戦いを分析して、セネガルが得点を入れる可能性は低いと判断したのだろうけど、勝負事は何が起こるか分からない。物凄いギャンブルに出たものだと思った。

 しかし、冷静になって考えてみると、これは最善の作戦かもしれないという気もして来た。何としても点を取るんだと、攻め続けた場合、失点する可能性は高くなる。そして、失点してしまえば、すべては終わってしまうのである。だが、しかし…という気持ちはいつまでも続いた。何が、正解なのかわからなかった。

 日本戦の結果はもう決まったようなものだったから、コロンビアーセネガル戦を観ることにした。セネガルは、必死になって攻撃を仕掛けていたが、コロンビアも必死である。同点に追いつかれれば、コロンビアにだって敗退の危機は訪れるのだ。長く感じた10分だったが、セネガルが自陣からボールを大きくフィードしたところで笛はなり、日本の決勝トーナメント進出は決まった。

 日本のこの戦い方に会場はブーイングの嵐となり、国内の意見は賛否両論、海外メディアは否定的な所が多いようである。勝負事は結果がすべてであり、日本は決勝トーナメント進出を決めたのだから、西野監督はギャンブルに勝ったといえる。攻めていたら失点していたことも考えられ、最善の策だったのだと思った。しかし、時間が経つにつれ、やはり間違いだったのではないかと考えが変わって来た。

 結果的には、日本は勝ったといえる。しかし、もし、セネガルが得点を入れていたら、戦わずして予選敗退となり、大きな後悔を選手はしたのではないか…。その後悔は、攻めてカウンターをくらい失点して、予選リーグ敗退となったときよりも大きかったのではないだろうか?やった後悔より、やらなかった後悔の方が悔いは残るものだ。

 長友佑都選手は「これで決勝トーナメントに進めなかったら悔いが残っていただろうな」と語っている。やはり、結果はどうであれ、最後まで戦い続けるべきだったのではないか?という思いが強くなった。しかし、また、武藤嘉紀選手のように「前から、いきたかったが、カウンター攻撃を受けて失点したらそれほどばかなことはない」という意見もある。結果がすべてといいながら、また、果たして結果がすべてなのだろうかと考えさせられた試合だった。(2018.7.1)


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