みなとみらい線では、不正の「折り返し乗車」の取り締まりを強化しているという。「折り返し乗車」というのは、例えば横浜から渋谷まで通勤している場合、横浜駅から渋谷方面の電車には乗らず、反対方向の元町・中華街方面の電車に乗り、数駅行ったところで降り、今度は渋谷方面の電車に乗るというものだ。 何故、こんなことをするのかというと、座って通勤したいからである。横浜から渋谷行きの電車に乗った場合、大変混雑していて、座ることはまずできない。そのため、あまり混雑していない元町・中華街方面に向かい、人の少なくなった辺りで、上り線に乗り換えれば、渋谷までゆっくり座っていけるというわけだ。もちろん、これは不正乗車である。 しかし、気持ちはわかるし、僕も同じようなことを考えたことがある。会社へ行くときは、まだ、体も元気というわけではないが、それほど疲れているわけでもないし、時間的な余裕もないので、できないが、年のせいか、会社帰りはぐったりということが多く、いっそ東海道線の始発の東京まで行って、折り返しの電車に席を確保し、一眠りしながら帰りたいと思ったことはある。現実には、不正乗車のみならず、東京までは立って行かなければならないだろうし、また、東京から家までだとゆうに一時間半くらいはかかるだろうから、とても実行できるものではない。 実は、僕は高校生の頃を除いて満員電車を経験したことがなかった。高校生のときの満員電車は東急東横線で、降車駅で降りることも困難なほど混雑していた。体は電車の外に出たのに、鞄が人に埋もれて出せなくなり、力任せに引き抜いたら、3〜4人の人が飛びだしてきたこともあった。しかし、社会人になってからは、そういった満員電車から解放された。 以前は品川区に住んでおり、勤務地は府中だったり、埼玉県の志木だったりしたため、人の流れと逆方向だったからである。さらに、府中のときは新宿始発の京王線で、志木のときは池袋始発の東武線での通勤だったので、座っていくことができた。それが、昨年の6月に引っ越したことにより、また、多少なりとも、満員電車が復活してしまったのである。 厳密にいうと、満員電車というほどではないが、それなりの混んでいる電車での通勤である。行きはぎゅうぎゅうということは、電車に遅れが出ていない限り、あまりないが、帰りは結構混む。一日、仕事をした疲れも重なり、家に帰ってからは、しばらく何もやる気が起きない。 何とか席を確保しようと、できるだけ車内の内側に入ろうと思うのだけど、みんな同じことを考えるようで、出入口付よりも、混んでいたりする。そのため、座れることは、ほとんどない。グリーン車で通勤できれば、さぞ快適だろうけど、料金が770円(平日50Km以下)では、毎日のことなので、ちょっと手が出ない。 最近になって、つくづく思うのは、満員電車というのは、あまりに非人間的であるということだ。満員電車に押し込められると、まさに社畜という気分になる。自分は本当に人間なのだろうかと、疑問を持つ。サラリーマンの通勤時の苦痛に対して、社会はあまりに無頓着だったが、やや潮目が変わって来た。ここのところ鉄道各社は、「座れる通勤電車」を相次いで導入している。料金は、西武電鉄のS-TRAIN(所沢〜豊洲)が510円、京浜急行のモーニング・ウイング号(三浦海岸〜泉岳寺)は、300円で利用できる。どちらも大人気で、乗車券は争奪戦のような状況を呈しているらしい。東海道線のグリーン車も朝はだいたい満席になっているし、多少余分にお金を払っても、ゆっくりと座って行きたいという人は多いと思う。 座って通勤できたら、どんなに楽かと思うのだが、満員電車も昔に比べれば改善されてきているようだ。企業の郊外移転や時差出勤、鉄道会社のダイヤの過密化や一編成の車両数の増加など、地道な努力によってだと思う。少子高齢化による労働人口の減少ということもあるのかもしれない。満員電車という単語が、過去のものとなったとき、日本はどんな国になっているのだろう?(2017.6.1) |