カジノ法案と呼ばれている統合型リゾート施設整備推進法案が昨年末、国会で成立した。カジノ解禁に対して賛否半々というより、圧倒的に反対という意見が多いようである。僕の住んでいる横浜は、山下埠頭にカジノを誘致する計画があるようで、付近の住人から反対運動が起きている。 その反対理由は、まず治安の悪化である。カジノが出来て、多くの外国人が来ると、強盗、ドラッグや売春などの犯罪行為が増える可能性があるというわけだ。そして、ギャンブル依存症の心配する声も多い。ギャンブルにのめり込み、闇金から多額の借金、さらに一家離散、自殺など、人生を狂わせてしまう人が多数でるのではないかという。また、カジノは何も生み出さないという意見もある。カジノの収益は客の賭け金によるもので、何かを生み出すわけではないから、世の中に必要のないものだという考えである。 ただ、僕はカジノ法案はともかく、カジノの出来ることには賛成だ。カジノに反対している人たちは、基本的にギャンブルに対して、嫌悪感を持っている。一攫千金または、一文無しなど、極端なイメージがギャンブルにはついて回り、楽しく遊ぶといった本来の娯楽性を理解している人は意外と少ないように思う。そう、ギャンブルとは、本来、楽しく遊ぶものなのだ。 僕は、特別にギャンブルが好きというわけではない。やるのは競馬だけである。いろいろな情報を自分なりに分析して、勝ち馬を予想し、金を賭けるという行為はとてもスリリングである。また、競馬の場合は、1レースの賭け金を決めてしまえば、パチンコのように数分でお金を使い果たすということもなく、1日楽しく遊ぶことが出来る。 以前、会社の競馬友達に、「昨日どうだった?」と訊かれ、「トントンだったよ」と答えたら、「トントンだったら、いいじゃない。1日遊んで損してないんだから」いわれたことがある。つまり、ギャンブルは、いくら勝った負けたということより、楽しく遊ぶということの方に重点がある。その友人にいわせれば「競馬は金儲けでやっているわけではなく、趣味でやっているのだから、楽しめればそれでいい」ということになる。 他のギャンブルでも同じだと思う。映画やコンサートを観に行ったり、旅行を楽しんだりといった娯楽と、ギャンブルは変らない。自分の遊べる範囲のお金で楽しむことができれば、とても有益になると思う。カジノの収益は客の賭け金によるものだから、何も生み出さないなどというのは間違いで、カジノが出来れば当然雇用が生まれ、また、その周辺にもレストランやホテルなどができるといった経済効果も見込める。 ギャンブルが他の娯楽と唯一違う点は、遊んだのにお金が返ってくることがあるというところだ。返ってきたお金で、今日は運がよかったと、いつもよりワンランク上の食事をするといったような楽しみ方ができればいいが、それにより、もっと、もっととなり、ギャンブルのためにギャンブルをするようになると、ギャンブル依存症という問題になる。 「大人の楽しみ方」のできない人が、どれくらい出てくるのか、それはわからないところがあり、有効なギャンブル依存症対策は必要だと思われる。日本のギャンブル依存症患者は諸外国に比べて、かなり高い数値が出ている。ただ、これは、ほとんどがパチンコによるものらしく、一人で機械に向かって行うためだといわれている。カジノはポーカーやルーレットといったボードゲームが中心であり、依存症患者が激増するといったようなことはあまり考えられない。 犯罪の増加ということについては、もともと日本は治安のいい国だし、それほど心配しなくてもいいと思うが、いろいろな人たちが集まってくるということを考えると、近隣の住環境の悪化ということは考えなくてはいけないかもしれない。 ギャンブル依存症、治安や住環境の悪化など、いろいろとマイナス面を強調されるカジノだけど、むしろプラス面に重点を置いて考えたいと思う。経済的な効果もあるけど、新しい社交場的な側面もあるのではないだろうか?富裕層だけでなく、一般に人も気楽に遊べるような環境を整えれば、特定の人たちだけでなく、家族連れも楽しめたり、お年寄りたちの憩いの場にすることだってできるように思う。 そういった意味で、入場制限は、出来る限りゆるくした方がいいと思う。現在、競馬では未成年と学生は、馬券を買うことはできないが、その程度でもいいのではないだろうか?制限を設け過ぎてしまうと、本来カジノの持っている魅力が失われ、窮屈でつまらないものになってしまう。 場外馬券場でも、思わぬ人間関係ができたりする。カジノも新しい社交場として、普段はなかなか知り合えない老若男女の繋がりができるような場になる可能性があるように思える。(2017.2.5) |