寿町 風の痕跡 (後編)

 木下さんの出身地は九州である。彼の兄は市会議員をしており、その関係で彼は一時、市役所の職員として働いていたが、仕事がつまらなくなり、上京する。上京後は、仕事を転々とする生活だったが、やがて郵便局の臨時職員に採用される。そして、上司から正規の職員になるため、採用試験を受けるようにいわれるのである。採用試験の問題集を手に入れ、勉強するのだが、年齢制限(三十歳)に引っかかることを知り、断念、試験に落ちた仲間から、もっと身入りのいい仕事があると誘われ、郵便局を辞め、寿町に住むようになる。

 たまに、帰郷しても、家族からはいい顔をされない。特に、市会議員の兄は世間体を気にして、弟と関わろうとしない。市会議員の弟が日雇い労働者であることに耐えられないのである。家に泊るつもりだったが、誰からも泊って行けといわれず、日帰りすることになるが、車があるにも関わらず、実家からかなり離れたバス停までも、送ってくれようとしない。足の悪い母だけが、バス停までいっしょに行こうといってくれる。木下さんは母の手を引きながら、バス停までの長い道程を二人で歩いて行く。母と二人、歩く彼は、楽しく思う。夕暮れの迫る中、年老いた母と母を気遣いながら歩く息子、二人の姿は、美しく、そして哀しい。

 また、木下さん行きつけの飲み屋にある日、若い女性が手伝いに来ていた。彼女は店主の親戚の子で、昼間は市役所で働いているのだが、夜はアルバイトとして店に来るのである。アルバイトの女性と木下さんは、文学好きということで、お互い気にかけるようになっていく。カウンターから胸の膨らんだ上半身を乗り出して話しかけてくる女性の刺激的な匂いに、木下さんは圧倒される。しかし、どんなに気にかけていても、二人の間が進展しないことも知っている。

 ある日、女性は、木下さんにドストエフスキーの「貧しき人々」を読んだことがある?と訊く。木下さんは、覚えていないと答えると、女性は「貧しき人々」のあらすじを話し始める。「貧しき人々」は中年の小役人の男マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋を、往復書簡体で綴ったものである。女性は、「貧しき人々」の二人に自分たちを重ね合わせたのだろう。やがて、女性は店に姿を見せなくなる。女将に訊くと、結婚することになったから、もうここには来ないといわれる。

 気が弱く、不器用で、他人とうまくコミュニケーションをとることのできなかった弟と木下さんの姿が重なってくる。そして、寿町で暮らす多くの人がそうであるように、仕事先と宿泊先を転々とする木下さんの消息はわからなくなる。彼の泊っていた宿屋で行き先を知らないかと訊くと、「ここは悪いことをした人間が逃げ込んだら、警察だって探せないよ」と冒頭で紹介した映画と同じようなセリフを聞かされる。ドヤで暮らす人は、頻繁に宿泊先を変えるし、宿帳に書く名前はほとんどが偽名である。さらに、暗黙のルールとして、お互いのことを訊かないし、そもそも他人に無関心であるため、訊き込みは成立しない。

 この本は、上記したように、詩的で美しく哀しい場面があり、そして、梃子でも動かない現実というものの厳しさ、過酷さも書かれている。その一例は、ある大手デパートで、お歳暮の梱包をする仕事の場面だ。お歳暮の梱包のため、臨時アルバイトが数人雇われ、その中に木下さんもいた。臨時アルバイトの一人だった中年の女性が他の銘柄のウイスキーを間違えて、梱包してしまい、お客さんから苦情が来る。しかも、それを数回、繰り返してしまったため、大問題になり、デパートの担当者は激怒し、彼らを派遣した業者に出入り禁止を言い渡す。

 大手デパートはこのような零細の派遣業者を多数抱えているため、一つくらい出入り禁止にしても、痛くも痒くもないのである。しかし、出入り禁止を言い渡された、業者はたまらない。ミスを繰り返した女性をクビにしただけではなく、「年ばっかり食って、能率の上がらない者」もクビにし、次からはテキパキと動く若くて元気な人間だけを派遣することを約束して、何とか出入り禁止を免れる。木下さんも「年ばっかり食って、能率の上がらない者」に入れられ、何の落ち度もないのに、クビになってしまう。大手デパートは、零細業者を競争させ、零細業者は日雇い労働者を競わせる。まさに、社会のピラミッドを見る思いがする。

 取材は著者の仕事の合間にされたもので、数年間に及ぶ。寿町の実態を、俯瞰して著したものではなく、一人の労働者に寄り添うことによって、多少でもこの町に住む人たちのことを知らせようとしたものである。本書を読んで、働くこと、そして人間の幸せとは、何だろうと考えた。ピラミッドの出来るだけ上の方にいくことが、幸せなのだろうか?それとも、そんなものとは、全く別のところに、幸せはあるのだろうか?ピラミッドの上に行けばいくほど、生活は安定するが、自由は無くなり、ピラミッドの底辺に近ければ、自由はあるが、安定した生活を送ることはできない。結局は、自分で選択するしかないのだろうが、その選択をできる人間は、少ないように思う。選択が出来ないとなれば、視点を変えて、自分の幸せを考えるしかない。(2015.5.9)


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