会社でラジオを聴いていたら、「あなたは朝、何回おはようございますと挨拶をしますか?」という街頭インタビューをしていた。それとはなしに聴いていたが、その人、その人の人間関係を端的に現していて面白かった。 朝、出勤するとき、両隣のおばあさんがよく立ち話をしているので、二回は挨拶をしますという人や、一人暮らしで近所付き合いもほとんどないので、会社に着くまでは誰とも口をきかないという人まで様々だった。 僕は…と数えてみたら、意外と多かった。まずは妻におはようで、一回。現在、暮らしている家は小学校の通学路に面していて、そこには防犯パトロールということで、所々に近所のお年寄りや児童のお母さんなどが立っている。家の前はT字路になっているためだと思われるが、二人のお年寄りが黄色い旗を持って玄関の真前にいるので、その二人にそれぞれおはようございますで、三回。大家さんが、洗濯物をベランダに干していることがあるので、振り返っておはようございますで、四回。小学校の正門付近を、町内会長さんがこれまたパトロールをしているので、多いときで合計五回というわけである。 挨拶の多さというものは本人の人柄も関係するだろうけど、暮らしている環境に左右されるように思う。人間関係の濃密な田舎なら、多少人見知りであっても挨拶の回数は増えるだろうし、人間関係の希薄な都会では友好的な人であっても、その回数はそれほど多くはならないのではないだろうか? 僕も品川で暮らしていた頃は、朝が早いということもあったが、会社に着く前に誰かに挨拶をするということは皆無だった。もっとも挨拶以前に、同じアパートで暮らしている人を誰一人として知らなかった。朝早く家を出て、夜遅く家に帰り、週末は家でゴロゴロしているか、何処か遠くへ遊びに行ったりしているのだから、近所の人と顔を合わせるということがなかった。町内会というのはあったらしいが、大家さんがアパートの全世帯の会費を払っていたそうである。何でもアパートの住人の中に「そんなものは大家が払うものだ」という人がいたらしく、そうなったらしい。そのせいか、回覧板が周って来るということもなかった。 このような環境は都会では珍しくないものと思う。子供がいたりすれば、また違ってくるのだろうけど、独身者の場合は両隣の部屋に住んでいる人もわからないということはよくある。しかし、どのような環境であっても、挨拶が大切であることには変わりない。 人間関係は挨拶から始まるといってもいいくらいに、挨拶は重要である。テレビなどで、何か事件を起こした人の近所に住んでいる住人に、「容疑者はどんな人でしたか?」というようなインタビューをよくしているが、挨拶をしている人だと近所の評判はそれだけで概ねよくなるが、挨拶を返さない人だとボロクソにいわれたりする。挨拶ひとつで他人に与える印象は正反対になってしまうのである。 会社でも挨拶を怠ったがために、気まずい関係がその後延々と続いてしまうこともある。僕も以前に勤めていた会社で、何となく苦手だった年下の先輩社員に挨拶をし忘れてしまい、その後、疎遠のままずっと月日の過ぎてしまったことがある。会社は規模にもよるだろうが、顔を知っている人ばかりだから、仕事上で繋がりが無くても、とりあえず、朝、顔を合わせたら、気まずい関係にならないためにも、挨拶をしておいた方がいいのはわかっているけど、相手が自分と同じく人見知りだったりすると、ついついそのままやり過ごしてしまったりするのである。気さくで明るい人ばかりだったらいいのだけど、そういう人は意外と少ないのが悩ましいところだ。 近所の人の場合、勤めていれば基本的に会う機会が少ないから、会社に比べれば挨拶をしそこなったとしても、気まずさがずっと続くということはないかもしれないが、通勤時やゴミ出しの時間帯がたまたまいっしょだったりして、頻繁に顔を合わせるのに無言というのは、気まずいものだから、「おはようございます」と一言大きな声で言えれば自分も相手も気持ちいいのだろうけど、照れというかそんなもので、ついつい無愛想に会釈するくらいになってしまったりする。 この照れ、または気恥ずかしさというのは、ほんとうに厄介で人間の行動をいろいろと制限してしまう。どうしたら、克服することができるのだろうか?(2014.6.2) |