ゴールデンウィークの初日、鶴見の仲通商店街と潮田銀座にいってきた。以前にも何回か行ったことはあったが、一度じっくりと街並みを見たくなったのである。妻の父親が、ペルーに渡る前に、一時鶴見で暮らしていたということもあり、リトル沖縄とか沖縄タウンとか、呼ばれているこの地域に興味があった。
「汚い中華料理店はうまい」という話はよく聞く。そういえば…と僕にも思い当る店がある。以前、勤めていた会社の近くにあった中華料理店である。そこは、老夫婦が切り盛りをしていた。旦那さんが厨房の中で料理を作り、奥さんが接客をしていた。おかしな店の造りで、店から厨房に行けない構造になっていた。だから、お客がビールなどを注文すると、旦那さんが調理で手の離せない場合、奥さんは一度外に出てから、厨房に入り、冷蔵庫を開けてビールを持って、また、外を周って店に戻って来た。 店内は薄汚れた四人掛けのテーブルが一卓と奥に座敷があり六人くらいが座れるテーブルが二卓あった。カウンター席もあったが、常に雑誌や新聞、食材などが置かれ、店内が客でいっぱいになったときだけ、使われていた。店内は汚く、テーブルも油でギトギトという程ではなかったが、何となくベタベタしていた。座敷の畳も所々擦り切れており、絨毯がひかれていたが、それもうす黒く変色し、ぺったんこだった。 店主は七十歳前後だっただろうか、短く刈り込んだ髪の毛は、真っ白だった。寡黙な人だったが、こちらが話しかけると、にこやかに対応してくれる朗らかな一面もあった。接客をしていた奥さんは明るくハキハキした人で、お主人に比べるとかなり若く見えたが、六十を超えていたかもしれない。厨房には丸太をそのまま加工したようなまな板があり、店主は野菜をその上に載せ、幅広の野菜切り包丁で切っていたのが印象的だった。 味はとにかくよかった。店の汚さに怖れをなし、敬遠する同僚もいたが、僕は部署のアルバイトたちと週に一、二回は通っていた。特に五目焼きそばと回鍋肉、肉野菜炒め定食は抜群で、会社帰りに寄っていくこともあった。それにしても、なぜ汚い中華料理屋は美味しいのだろうか? 中華料理店の汚さは、油によるものである。他の料理に比べて、強い火力で油を使う料理の多いため、それが換気扇や周りの壁に飛び散り、さらには店内に漂うため、だんだんと店全体が油っぽくなっていくものと思われる。もちろん、掃除はするだろうが、油はなかなかきれいに取り辛いので、長い年月の間に蓄積されて、芸術的な店になっていくのだろう。 長いこと店をやっていれば、それに比例して汚れも酷くなっていく。ブログで紹介されていた店の店主の年齢は記事がアップされた2年前で83歳となっているから現在は85歳で、55年間店をやっていることになる。僕の通っていた店の店主も70歳前後と推定すると、40数年のキャリアがあっても不思議ではない。それだけの年月、店が潰れもせず、営業してきたということは、味がよかったからに他ならない。つまり汚いということは、長い歳月、営業してきた証でもあるわけである。とはいっても、汚い中華料理屋がすべて美味しいとは限らないのは、いうまでもない。中にはただ単に店主がずぼらなため、店が早く劣化してしまい「汚い中華料理店」になっている場合もある。以前住んでいた家の近くにあった店は正にそれだった。 夕食を作るのが面倒臭くなり食べにいったことがあった。店の中はやはり汚かったが、それは長年火と油を使い続けてきたことによるものではなく、ただ単に店主の怠惰な性格の現われのようだった。週刊誌や新聞がテーブルの上に雑然と置かれており、そのテーブルも油っぽいというより、ホコリぽかった。肝心の料理は可もなく、不可もなくといった感じだった。店主は40代くらいだったから、店に年季の入るにはまだ早かったかもしれない。 「汚い中華料理店はうまい」というのは、確かにある一面、真実を突いているように思う。しかし、同じ汚いバイクでも乗り込んで貫禄のついたものはカッコよくみえるが、オーナーの手入れが悪くてただ汚れているだけのものはカッコ悪くみえるのと同様に、中華料理屋も、長年営業してきたことによる汚れなのか、店主の怠けグセによる汚れなのかによって、店のステータスは全く違ってくる。汚い中華料理屋に入るときは、汚さの後にあるものを、想像してからの方がいいかもしれない。(2014.5.3) |