僕が横浜の好きな理由

 いつの頃からか、横浜が好きになった。東京の城南地区で生まれ育った僕にとって、横浜は決して遠い街ではなかったが、二十歳を過ぎる頃までは、ほとんど関心はなかった。それがいつしか、何となく行くようになっていた。

 例えば、北海道のメルトモが遊びにきたときは中華街で夕食を共にした後、山下公園に行ったし、妻と結婚する前、山手の洋館巡りをしたこともあった。当時は東京に住んでいたが、何故か思い浮かぶのは横浜だったのである。

 現在、妻と遊びに行くのも、ほとんど横浜ばかりで、たまに鎌倉だったりするくらいである。特に好きなのは汽車道から赤レンガ倉庫、象の鼻、そして大さん橋というコースで、歩いていると開放感をいっぱい味わうことが出来、景観も素敵で、とても楽しい気分になる。

 山手洋館巡りも楽しいし、中華街で夕食をとった後、山下公園で一休みするのも好きである。夜の山下公園はカップルばかりと思っていたが、そうでもなく、近所の人が犬を散歩させていたり、子供を連れた主婦たちが井戸端会議をしていたり、女の子がひとりで写真を撮っていたりと、様々な人たちが集まっていて、‘都会’を感じた。

 海芝浦駅でひとりぼんやりと海を眺めていると心が安らぐし、古の旅人気分で旧東海道を歩くのも味わい深い。最近になってブログを始めたものだから、以前より頻繁に行くようになったが、方々を歩いてみて、何故、自分は横浜が好きなのか少しわかった気がする。

 それは、いろいろなものが入り混じっているからである。古いものと新しいもの、東洋的なものに西洋的なもの、そういったものが入り混じり、それでいて何となく調和がとれていて、そんなところに惹かれるのかもしれない。それらは、当然のように光とそして影を作りだし、大都会特有のコントラストの強さにまた吸引されるのである。

 そして、何といっても、東京と違うところは、空間である。東京は、何処でもぎゅうぎゅうで、オープンスペースを見つけることが難しいが、横浜は海に面しているということも関係しているのだろうが、開放的な空間に満ちている。とここまできて、僕が会社というものに、まったく馴染めなかった理由もわかった気がした。会社はすべてこの反対なのである。

 まず、多様性を許容せず、単一的な価値観をそれとなく押し付けてくる。みんなが残業していれば、自分も残業、有給を消化する人がいないから、自分も取らないなど、みんなと同じ行動を取らないと、会社内では浮いた存在になってしまう。以前に勤めていた会社で夏休みが三日しかなかったものだから、有給を二日足して九連休にしたら、上司から「キミ、度胸あるね」とイヤミをいわれたことがあった。

 また、仕事上でも、平然と不合理なことが行われており、それが放置されたままになっていたりする。これは特にワンマン社長のいる会社でよくある現象である。おかしいなと思いながらも、結局は保身が大切だから、火中の栗を拾うようなマネは誰もしようとしないのである。

 このような、環境からくる閉塞感は強く、普通の人間だったら、息苦しさを覚えると思うのだけど、慣れとは怖いもので、徐々にそれを感じなくなり、自分でも気がつかないうちに、おかしくなっていたりする。

 単一的な価値観とそれに伴う閉塞感、いかにも日本的である。そういった社内の雰囲気を個人で変えるのは、まず無理だと思う。やるとするなら、自分がある程度の地位に就いたときだけど、それまでの年月で組織にどっぷりと染まってしまい、若い頃抱いた思いを持ち続けている人はまずいないから、最終的には外圧ということになってしまうのだろうか?

 結局、僕は逃げ出してしまったけど、それはまたそれで、別の苦労が待っていたりする。まあ、精神的には随分と楽にはなったけど…。AかBかと考えるのではなく、AもBもと考えられる人間が増えてくれれば、多少は生きやすい社会になるかもしれない。(2014.4.19)


皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT