怖い羊

 久しぶりに鎌田慧著「自動車絶望工場」を読み返したら、次の個所が心にとまった。

 「工場へ行く時、煙草を吸いながら歩いていた。そこは工場の正門にはまだ100メートルほど離れている歩道だった。道路の真ん中には、通行する車の中を検問する守衛の監視所が立っているのだが、その中から声をかけられ、警官そっくりの制服を着た守衛に、手まねで煙草を道端に据えられた空き缶の吸い殻入れに入れることを命じられた。構内にはまだ入っていないのに、道路で煙草を吸うな、という理不尽な命令に黙って従ってしまった。舌打ちしたのが唯一の“抵抗”だった。もし、東京で本物の警官に煙草を吸うなと注意されたら、そのまま引き下がることは絶対にない筈だ。が、今は本能的に命令に従うようなっていた。」(現在は、道端でタバコを吸うことは、非常識になりつつあるが、このルポが書かれたのは1970年代前半なので、一般的な行為だった)

 「自動車絶望工場」は著者が、トヨタの自動車工場で6カ月間、期間工として働いた体験を日記形式で書いたルポルタージュである。上の文章は、工場という閉ざされた空間で働いているうちに、いつの間にか従順になってしまう恐ろしさをあらわしている。

 工場だけでなく、会社でも、働いているうちにいつしか飼い慣らされ、従順になっていく。自分の頭でものを考えることをしなくなり、命令を受け入れるだけの人間になってしまう。下っ端のうちは、それは自分だけの問題だから、まだいいかもしれないが、年月と共に昇進し、部下を持つようになると、自分の考えのない人間は、従順なだけに会社の指示を何の抵抗もなく受け入れてしまい、平気で非人間的な行為を行うようになったりするのである。

 現在の職場で、それを強く感じるのはOさんである。僕はこれまでいろいろな人たちと働いてきたが、彼ほど姿の見えない人はいない。彼が自分の意思で何かをしたというのを僕は見たことがない。常に‘誰かの意向’を受けて動いているのである。

 上司が明らかに間違った指示を出したとき、「それは違うのではないでしょうか」と異を唱えることもあると思うが、Oさんはそのようなことは絶対にいわず、その指示通りにする。それで結局、問題が起きたりするのだけど、上司は自分が指示した手前、Oさんを責めることはできず、Oさんも「まずかったですね」などと批判的なことはいわずに黙っているため、お互いに「仕方ない」とキズを舐め合う格好になってしまい、何も改善されないのである。

 さらに問題は、上司が「アイツに仕事を与えるな」とか「彼女は、早く帰せ」などの、パワーハラスメント的な指示をしたときである。従順なOさんは、それらの指示を咀嚼することなく、いたって事務的に部下に伝えるだけである。上からの指示をそのまま実行するだけだからなのだろうか、何の葛藤もないようで、事態を解決しようとか、仲裁に入ろうとか、そういった気概を感じることはできない。

 上からは、指示通りに動いてくれると評判のいいようだが、下からは‘何もしない’‘薄っぺらい’と散々である。正に上司の太鼓持ちといった感じで、みているとこちらまで情けない気持ちになる。会社にとって従順な社員というのは、好ましい人材ということになるのだろうが、盲目的な従順さというのは、ときとして危険である。

 従順さというのは、一見よいことのように思われがちだが、ときにはとても性質の悪いものである。自分の頭で物事を考えず、常に組織の指示に通りに実行する従順な人間ほど恐ろしいものはないように思う。(2014.2.25)


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