ストーカー 中編

 北海道で会った後、ふたりの関係に進展はなかった。正確にいえば、関係を進めることを、僕は避けた。それは、僕とAさんは上司と部下、そして、さらに正社員とアルバイトという上下関係だったからである。もし、彼女が違う部署のアルバイトだったら、僕はデートに誘っていただろう。

 同じ部署、さらに正社員とアルバイトという関係上、僕はAさんに対して、ある程度の権力を持っているということになる。それを背景に、デートに誘ったり、交際を迫ることは、アンフェアな気がしたし、もし、結果が悪かった場合、自分でもAさんに対して今までと同じように職場で接することができるか、自信がなかった。

 また、例え、それまでと変わりない態度で接することができたとしても、Aさんは働き辛くなるのではないかという気がした。折角、望んでいた長期契約になったにもかかわらず、働き辛い環境を作ってしまったらと思うと、次の一歩を踏み出す気にはなれなかった。

 転機が訪れたのは、Aさんが入社してから、二年が過ぎた頃だった。僕が会社を辞めたのである。会社を辞めて一週間が過ぎた頃、「会社の最寄駅の駐輪場に置いてある自転車を取りに行くから、その時、会わない?」とAさんを誘った。駅近くのレストランで食事をし、その後、公園に移動して僕は自分の気持ちを彼女に伝え、「お付き合いしてほしい」といった。彼女は、「自分には好きな人がいる」といった。

 「好きな人がいる」…、目の前が真っ暗になりかけたが、首の皮一枚繋がっている気がした。「付き合っている人がいる」といわれれば、どうしようもないが、「好きな人がいる」ということは、片思いという可能性もある。その好きな人のことを詳しく訊くと、目の前が多少明るくなった。

 Aさんが好きな人といったのは、夏になると毎年のように行っている北海道の牧場主だった。年齢は、彼女よりも三十歳も上で、六十五歳だという。Aさんが学生時代にアルバイトをしたときは、彼も四十代で妻もいたが、そのうち奥さんが亡くなり、独り者になった。現在、牧場を実質的に取り仕切っているのは、彼の息子で結婚しており、子供も二人いるという。もし、彼女が彼と結婚するようなことになれば、息子夫婦にとってみれば、ほとんど同じような年頃の母となるわけで、現実味のないことのように思えた。そんなことは、彼女も当然わかっていて、「私は好きなまま何年でも、がまんできるの」といった。

 そして、「付き合うって、どんなことをするの?」と僕に訊いてきた。「いっしょに食事したり、映画を観に行ったり、旅行したり…」というと、「体の関係ももつの?」といった。いきなり体を持ちだされ、びっくりしたが「まあ、そうだろうね」というと、「でも、男女の関係になると、お互いに嫉妬の気持ちが強くなったりするから、止めた方がいいかも」という。僕もすぐにそういう関係になることは思っていなかったし、「それは、今、考えなくてもいいんじゃないかな?」と曖昧ないい方をした。結局、この日は、はっきりしないまま別れた。

 それから数日経って夜、Aさんに電話をした。このときは意識的に交際の話はせず、お互いの近況などをしゃべっているうちに、話題は広がっていき、幼い頃の想い出、好きな漫画家や作家のことなど明け方まで話続けた。その後も一週間に一度くらいは、この日ほどではないにしても、数時間の長電話をした。

 僕のAさんに対する想いはさらに強くなった。六時間も続けて電話で話せる女性など、それまでにいなかった。話が続くということは、お互いの感性が共鳴しているということであり、自分に合った女ということになる。

 電話だけでなく、Aさんといっしょに出かけるようになった。いつも、OKというわけではなかったが、明らかな拒絶もみられなかった。子供たちもいっしょに、子供の喜びそうなイベントにいったりして、このまま、焦らず押していけば、いつか落とせるという感じがしていた。

 冬休みに入ってすぐ、Aさんはひとり深夜バスで大阪に行った。全国の酪農家の会合が大阪で行われるらしく、それに出席する彼女が学生時代から想いを寄せている男性に会うためだった。新宿の東口から深夜出発するバスの発車時刻まで、新宿の居酒屋で彼女と飲んだ。想いを寄せている男に会いに行く彼女とこうした時間を過ごすのは、不思議な気分だったが、大阪でのふたりの話し合いで何がしらの結論がでるのではないかという期待があった。

 僕がその老酪農家の立場だったら、自分よりも三十歳以上も年の若い女に慕われているというのは、うれしいことだと思うし、年に一回、遠路はるばる会いに来てくれる彼女は、可愛くて仕方ない存在かもしれない。しかし、それ以上、関係を進めることは、彼女のためにも、そして、家族のためにもできないだろう。そして、彼女に想いを寄せている同年代の男性がいると知ったら、いいじゃないかというような気がしていた。

 大晦日、子供たちもいっしょに僕の車に乗って、千葉の九十九里まで初日の出を見に行った。途中、コンビニに立ち寄った。子供たちは後部座席で寝ていた。僕とAさんは、軽食を買って、車の中で食べた。Aさんは大阪で酪農家に僕のことを話したといった。彼の答えは、僕の想像と同じで「いい話じゃないか」というものだったそうだ。彼女の横顔に寂しそうな影があった。

 初日の出はあいにく、途中から雪が降り出し、見られなかったが、その帰り、初めてAさんの家に上げてもらい、彼女のお母さんの作った雑煮をごちそうになった。関係が大きく一歩進んだ気がした。夜になって彼女から、「今日はありがとうございました。それと、私すっかり忘れていましたが、ガソリン代はこの次会ったときでいいでしょうか?」というメールが来た。

 Aさんは僕に会いたがっている。ガソリン代うんぬんは、その理由づけという気がした。僕は「ガソリン代は、気にしなくていいです。また、いっしょに楽しみましょう」と返信した。しかし、Aさんと会ったのは、このときが最後だったのである。つづく…(2013.10.19)


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