ストーカー 前編

 三鷹で起きたストーカーによる女子高生刺殺事件が連日、マスコミで報道されている。これ以前にもストーカーによる事件は、定期便のようにお茶の間に届けられている。これらの事件の報道をみるたびに、僕の心の奥底で疼くものがある。それは、ひょっとしたら、僕も彼らと同じ側に堕ちていたかもしれないという思いだ。

 今から十年以上前の話になるが、僕は同じ職場で働いていた女性Aさんに好意をもった。Aさんは僕が任されていた部署に短期アルバイトとして入って来た。入って来てすぐに、Aさんから、できれば長期で働きたいという申し出があった。理由を訊くと、世帯主になってしまったからと自嘲気味にこたえた。

 Aさんは夫と離婚し、子供二人を女手一つで養って行かなくてはならなかった。そして、この辺りでは、ここが一番時給がよく、働き場所は少ないといった。僕はAさんの立場に同情したが、短期契約を長期に変えることは、僕の権限を超えていたので、それはまた契約の終了時期が近づいたら考えましょうと言うと、もし、長期が無理なときは早めに教えてほしいとお願いされた。

 Aさんは子供のいる関係で、残業はあまりできなかった。忙しい時期に早く帰られるのは痛かったが、これは始めからある程度わかっていたことなので、努めて気にしないようにした。仕事は拙い感じで少々心配だったが、真面目に取り組んでいたので、徐々に慣れていった。

 当初、個人的に、Aさんに興味はなかったし、特に僕の好みの女性というわけでもなかった。しかし、仕事しながらいろいろと話すうちに、共通点のあることがわかった。それは北海道好きということだった。当時、僕は毎年のように夏になるとバイクで北海道を旅して周っていたが、Aさんも毎年のように北海道に行っていたのである。

 Aさんは学生時代、中標津にある牧場でバイトをしており、社会人になった後でも、夏休みにそこに行き、手伝いをしながら過ごすということがよくあったという。北海道がきっかけとなり、僕たちは個人的なことまでお互いに話すようになっていった。

 繁忙期も終わりに近づき、長期を希望するAさんの処遇をどうしようかと悩んだ。その頃、会社自体の仕事量は毎年減り続けており、写真のデジタル化が進んでいた。デジタル部門だけは、仕事量は増えていたし、もし残すとなるとデジタルへ移動させるしかないが、Aさんはほとんどパソコンの知識はなく、基本操作さえままならなかったので、とても推薦できなかった。

 ところが、課長から僕の部署の暗室で作業している男性をデジタルへ移動させたいという話が出た。これから、しばらくの間、アナログ関係は暇になるから、パソコンの知識の豊富な人材をほしいということだった。それまでは、アナログ中心の会社だったので、デジタル関連の知識を持った人材が不足していたのである。そのかわり、新規に暗室のオペレーターを募集するか、短期の人で長期希望の人がいれば、力量を判断して続けてもらってもかまわないということだった。僕はAさんに暗室の仕事をやる気があれば、長期にできるというと、彼女も了承した。

 その年の夏休み、僕たちは北海道中標津の開陽台で、初めて私的に会った。僕がいつも通りバイクで北海道を旅する期間、Aさんも学生時代にバイトしていた牧場に滞在しているがわかり、それじゃー会おうかということになったのだった。開陽台というのは、バイクや自転車で北海道を旅している人たちの聖地のようなところである。

 子供ふたりを連れたAさんと開陽台の展望台でひとときの時間を過ごした。このとき、初めてAさんを美しいと思った。会社では見せないような、活き活きとした表情をしており、白と紺のチェック柄のシャツも似合っていた。ふたりの子供は上が小学五年生で下は三年生、展望台の中でサッカーを始めていた。

 そこに僕も加わり、三人で遊んだ。それを、Aさんは優しい眼差しで見ていた。その光景に僕は、今までずっと僕たち四人は家族だったのではないかという錯覚に堕ちた。このときから、僕はAさんを、仕事の部下ではなく、一人の女として意識するようになった。その後の迷走の始まりだった。つづく…(2013.10.13)


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